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カテゴリー「ゲーム」の7件の投稿

August 11, 2012

ドラクエ10、4日で42万本 出足は前作の2割ペース

 「ドラクエ10、4日で42万本 出足は前作の2割ペース」(産経新聞:8月10日)

 ゲームの価格が6980円もするのに、更に利用料金がかかる。ドラクエ9までは本体を買えば最後まで遊べたのに。これではなかなか売れないだろう。ゲームの価格をもっと戦略的に安くすればよかったと思う。

 記事を引用する。

 スクウェア・エニックスの人気ゲームソフト最新作「ドラゴンクエスト10 目覚めし五つの種族 オンライン」の販売本数が、今月2日の発売から4日間で42万311本だったことが9日、ゲーム雑誌出版エンターブレイン(東京)の集計で分かった。

 2009年7月に前作「ドラゴンクエスト9 星空の守り人」が、発売後2日間で234万3440本売れたのと比べ、2割弱にとどまった。

 最新作はドラクエシリーズで初めてオンラインゲーム形式を採用。ゲーム業界関係者は「利用料金が別途かかることが敬遠されているのではないか」と話している。

March 31, 2012

昨年の国内ゲーム機市場、3DSとVita発売でも4年連続で縮小

 「昨年の国内ゲーム機市場、3DSとVita発売でも4年連続で縮小」(産経新聞:3月29日)

 家庭用ゲーム機がなくてもゲームで遊べるようになってきたからなあ。

 今から考えると、任天堂などゲーム機のビジネスモデルの方が、ネットゲームのビジネスモデルよりも好ましい。後者は「無料」と謳って利用者を集めるが、ゲームを有利に進めたり、より楽しむためには有料の「アイテム」を購入しないといけなくなる。それには幾らかかるか上限はない。

 1本幾らのゲーム機専用ソフトとは異なる点だ。気を付けないといけないと思う。

 記事を引用する。

 ゲーム雑誌出版のエンターブレイン(東京都千代田区)は29日、2011年度の家庭用ゲームの国内市場規模(ゲーム機とソフトの合計)が前年同期比6.4%減の4425億2000万円だったと発表した。減少は4年連続。

 ゲーム機別の販売台数は、任天堂の携帯ゲーム機「ニンテンドー3DS」が464万台で首位。人気ソフトの投入などで販売台数が持ち直した格好だが、昨年8月に1万円の値下げに踏み切ったことから、金額ベースでのゲーム機市場拡大にはつながらなかった。

 12月に発売したソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)の新型携帯ゲーム機「プレイステーションVita(PSヴィータ)」は61万台にとどまった。SCEの携帯ゲーム機「プレイステーション・ポータブル」は168万台だった。

 任天堂とSCEの新型携帯ゲーム機が出そろったにもかかわらず、ゲーム機の市場規模は前年同期比0.3%減の1702億4000万円と振るわなかった。

 ソフトでは、160万本売れた任天堂の「マリオカート7」が首位だった。

November 10, 2011

ドラゴンクエストの25年

 産経新聞のページに、「ドラゴンクエストの25年」という記事があり、ゲームデザイナーの堀井雄二氏へのインタビューを載せている。もう25年も経つのか...。そういえば、今年の夏にわしの甥(高校生)が帰省してきたときに、ファミコン版のドラゴンクエストを見せたら、「(ファミコン版は)初めて見た」と驚いていた。

 わしは、ファミコンでDQ1~4を、スーパーファミコンでDQ5をクリアしている。DQ6はプレイしておらず(ゲームカセットは持っている)、プレイステーション版のDQ7は途中で止め、同DQ4は持っているだけ。

 また遊びたくなってきている。でも時間がかかるしなあ。

 で、記録のために記事を引用させてもらう。

 ↓ここから
 ■コンピューターに夢をかけて

 ゲームデザイナーという、あのころには聞き慣れなかった職業を、キラキラと輝かせたのは、この人だった。昭和61年に第1作が発売されたロールプレーイングゲーム(RPG)「ドラゴンクエスト」シリーズは、単なるヒット商品にとどまらず、社会現象を巻き起こし、たぶん日本人のエンターテインメントに対する感覚さえ変えた。「ドラゴンクエスト」生みの親に25年を振り返ってもらった。(文 篠原知存)

                   ◇

 --大学生だった私も夢中になった一人ですが、最初の「ドラゴンクエスト」は、ほんとうに新しいと思いました

 堀井 (家庭用ゲーム機の)ファミコンが普及し始めた時期ですが、ゲームセンターにあるゲームの移植版が多かった。家がゲーセンになる。それはそれで面白いんですが、お金を入れなくていいんだから「ゲームオーバー」のないゲームだって作れる、と思った。RPGの面白さも知ってもらいたくて始めたんです。

 --その「面白さ」とは

 堀井 いろいろあると思いますが、一番は何が起こるかわからないことでしょう。画面に文字が出て、それにこちらが反応することで、ストーリーが進んでいく。当時はそのインタラクティブ(双方向)性がすごく面白かった。ちょっとした夢を感じてもらえるかなと。僕自身、コンピューターに夢を持っていましたから。この箱に何ができるんだろうって。

 --インタラクティブという概念も一般化しましたが、当時はまだまだ…

 堀井 あ、でもね。ぼくが20歳ぐらいのとき、本の企画を頼まれたことがあって…。こすると文字が出る。どこをこするかで、展開が変わっていく。アルバイトでそんな本を作ったことがある。いま思えば、その延長線ですよね。

 --そういえばライターだったとお聞きしましたが、もともとは書く仕事を目指されていたんですか

 堀井 子供のころは漫画家になりたかったんです。『巨人の星』とか『あしたのジョー』とか『男一匹ガキ大将』とかに熱中しました。学生時代は漫画研究会に入って、自分でも描いてましたね。その先輩に編集者がいて、いろいろ仕事が来るようになったんですが、そのとき思ったのが、漫画描くより字のほうが楽だと(笑)。コラムも挿絵も描けたから、重宝がられて仕事はあったんです。このまま就職せずに食っていけると思って、フリーライターになっちゃった。

 --パソコンやゲームとかかわるきっかけは

 堀井 新聞で特集を読んだ。単純ですね。ハーレクインロマンス(女性向け娯楽小説)がコンピューターでプロットをつくっていると知って、そのころ漫画の原作もやっていましたから「すげえじゃん」と。わけもわからずにPC-6001というのを買った。プログラムすると動く。それだけで面白かった。

 --最初に制作したゲームは

 堀井 シューティングの…いや、占いを作りましたね。友達を占ってやるとかいって、そいつの性格を最初に入れちゃうんです。生年月日とか名前とか入力させて、パッと答えが出たら「すごい。きのう見た映画まで当たってる!」(笑)。

 --あはは。その感覚、ドラゴンクエストにも通じているような

 堀井 近いものがあると思います。ゲーム上でプレーヤーがやることを想定して、いろいろ考えるのが楽しいんですよ。散々捜し回ってやっと見つかる相手に「いやあ、捜しましたよ」と言わせたりする。

 --捜したのはオレ!

 堀井 そういうツッコミも想定してね。最近はシナリオより、そっちのほうが楽しいですね。どうやって意表を突くか、みたいな(笑)。

                  ◇

 ■ゆるく作るために苦労する

 --代表作「ドラゴンクエスト」は昭和63年の3作目以降、発売ごとに騒がれる社会現象に

 堀井 マニアックな世界ではなくて、普通の人が楽しめるゲームにしたい。そういう感覚で作りましたから、ヒットを予想してはいましたが、あれほどのフィーバーになるとは思ってもみなかったですね。じつは3作目までで、やりたかったことはすべてやり終えた感じがあったんですよ。

 --あれ、そうだったんですか

 堀井 ところがフィーバーになって、次を期待されて、弱った、どうしようと(笑)。これ以上物語を長くしても、マップを広くしても仕方がない。じゃあキャラクターを描いてみよう、何人も章立てにして…それが「4」になりました。次の「5」は人生をテーマに、主人公が結婚相手を選ぶ。「6」では、現実だと思っていたことが夢だったという驚き。そういうものを入れていって…。

 --一言では難しいと思いますが、どんなゲームにしようと考えていますか

 堀井 うーん。とっつきやすくて、わくわくして、ちょっととぼけた感じで。余裕というか、あまりギチギチにしたくはないんですよね。たとえば、作戦を指示する言葉が「ガンガンいこうぜ」とか「みんながんばれ」とか。どう違うんだって(笑)。いいんですよ、なんとなくで。ニュアンスでいい。ゲームをそう作っちゃうのは、ぼくのセンスだと思います。ゆるいものを作るために、すごく苦労する。

 --いい言葉ですね

 堀井 そういうものですよ。きっとね。僕自身がゲームを好きなので、自分の中のプレーヤーを満足させるには、どうするか。いつも考えてますね。物語というのはあるわけですが、進むスピードはそれぞれだし、寄り道だってできる。そういう自由は大切です。それと、あまり殺伐とした感じにはしたくない。だから敵も「ころす」のではなくて「やっつける」。コンピューターって冷たいイメージがあったんで、なるべく温かいものを作ろうと思った。それはいまも変わらないですね。

 --ヒットメーカーとしての実感は

 堀井 幸運だったと思います。時代も良かったんですよ。コンピューターがちょうど発展していったときに、アイデアを実現することができて、うまく転がっていったなという感じがしますね。

 --ゲームデザイナーになっていなければ、何をしていたと思いますか

 堀井 どうなんだろう。フリーターじゃないですか(笑)。きっと、なにかしらインタラクティブなことをやってると思います。しかし振り返ってみると、ゲームをがんばって作りすぎて、自分自身の世界ってあんまり広がってないんですねえ。ひきこもりですよ(笑)。ま、それはそれでよかったのかなとも思うし。やりたいことはなんでもドラゴンクエストの中でできるっていう感覚があってね。

 --職人肌ですね

 堀井 うん、職人的かもしれない。ゲームデザインは個人的な感覚なので、若い制作者に教えるのも大変なんですよ。日々の作業の中で、ああだこうだといってますけど。システムみたいなものは伝えられても、さじ加減みたいなものをわかってもらうのは、ほんとに難しいですね。(篠原知存)

 ■わくわく感とコミュニケーション

 --ゲーム業界の最前線で仕事をされていて、感じている変化は

 堀井 最初のころは、ゲームってこんなこともできるんだっていう驚きがあったと思います。だからやる人も増えた。いまはもう、たいていのことでは驚かないし、何が起こるかも予測できてしまう。でも「ドラゴンクエスト9」(平成21年発売)で「すれちがい通信」を導入したときは、わくわく感を作れたと思っています。

 --携帯用ゲーム機が、自動的にデータを交換する機能ですね

 堀井 ストーリーやキャラクターではないですが、ツールを用意することで広がる世界がある。もともとドラゴンクエストってコミュニケーションツールのような部分があった。お前はどこまでやったとか、あの宝物はどこにあるとか、そうやって人と人とのコミュニケーションを生み出してきたんですよ。

 --ええ、ヒットした理由のひとつですね

 堀井 いま、たとえば「ツイッター」がはやっていますが、そこには「もしかしたら自分の世界が広がるかもしれない」というわくわく感がある。ほかの人との軽いつながりみたいなもの。それは危なくもあるんですが、何が起こるかわからないという面白さを秘めている。ドラマだってそうですよね。意表を突かれると、やっぱり面白いと感じる。期待をちょっとだけ上回ると。あんまり予想外だと、面食らって受け付けられなくなっちゃうけれど。

 --時代とともに、作る側も変化を求められてきたのでは

 堀井 シナリオにドンデン返しを作っても、ネットですぐにばらされちゃう。そうじゃない部分をなんとか面白くしないといけない。いま、30代の男性が「ドラゴンクエスト世代」って呼ばれてて、思い入れを持ってくれている人たちなんですが、その下はまた違うんですよ。「クラシックゲーム」って言われたりしてます。

 --古典ですか

 堀井 戦闘もコマンド式で一呼吸あって、リアルタイムで進まない。ぼくは、そういうのが好きなんですけれどね。せかされたりしないで、のんびりできるから。

 --これからのゲームは

 堀井 こっちが聞きたい(笑)。いろいろ考えるんですけれど、この25年で、すごく状況が変わりましたよね。携帯電話とか、想像もできなかった。これから10年でまた加速すると思いますし、様子を見ながらやりますよ。(篠原知存)

【プロフィル】堀井雄二

 ほりい・ゆうじ 昭和29年、兵庫県生まれ。早稲田大学卒。在学中から作家として活動。パソコンの魅力を知ってゲーム制作をはじめ、58年、アドベンチャーゲーム「ポートピア連続殺人事件」をヒットさせる。代表作のRPG「ドラゴンクエスト」シリーズの世界を体感できる「誕生25周年記念 ドラゴンクエスト展」が12月4日まで、東京・六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリーで開催されている。
 ↑ここまで

December 30, 2005

ソニック メガコレクション プラス

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 PS2用のゲーム「ソニック メガコレクション プラス」を購入。新品で\1980。

 昔セガのメガドライブでよく遊んだものだ。下手だったけど。

 このゲームソフトには、メガドライブの7種類とゲームギアの6種類ののソニック関係のゲームが入っている。お買い得だ。ゲームギアは持っていなかったのでおいとくが、メガドライブ用の7種類のうち2種類は日本未発売のゲームだ。それぞれ「ソニック3Dブラスト」「ドクターエッグマンのミーンビーンマシーン」だ。前者は3Dのソニック、後者は「ぷよぷよ」だ。

 年末年始に遊び尽くすことにしたい。

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January 25, 2005

ボードゲーム

 ここ数年、ボードゲームが流行ってきているそうだ。テレビゲームよりも、目の前にいる人間相手にゲームをする方が面白いという事らしい。どちらにもそれぞれの面白さがあるんだけど、ファミコンブーム以来、人気がテレビゲームに偏っていたからね。
 考えてみれば、自分が子供の頃はボードゲームっ子だった。小学生になる前からトランプ、花合わせ、坊主めくり、スゴロクをやっていた。小学生になったら「家庭版」といって、1箱に10種類くらいゲームが入っていたのをやっていた。バンカースとか名探偵ゲ0ムもあった。小学校4年生の時に「人生ゲーム」を買ってもらった。確か\1,700だった。それから「モノポリー」。ルールの日本語もいい加減で、遊んでる連中もガキだったので、適当なルールで遊んでいた(プレイヤー間の交渉なしとか)。あと、面白いところでは、「ドライブゲーム」、「国盗合戦ゲーム」、「木枯し紋次郎ゲーム」など。当時は気付かなかったけど、これ3つとも任天堂のゲームだった。まさか子供の頃から任天堂にハマっていたとは。
 後は、オセロ、将棋、チェス、五目並べといったところか。ポンジャンを友達の家で一回だけやったことがあったが、面白くなかったので、続かなかった。その頃やっていたら、麻雀がもっと強くなったのではと思われる。
 さて、自分の子供もやっとゲームが出来るようになった。嬉しい限りである。「モノポリー」、「人生ゲーム」は当然として、「ポケモンのカードゲーム」もやる。最近のゲームで、「ガイスター」、「カルカソンヌ」、「ミッドナイト・パーティ」などもやる。
 たまたま、子供向けのオモチャ屋で知ったのだが、世界のボードゲームを広める会「ゆうもあ」というのがあり、会員になりたい気持ちで一杯だが、まだ申し込んでいない。
 ホードゲームを紹介した本だが、カラーで非常に綺麗で見やすいのがある。眺めているだけでも、ボードゲーム好きなら、時間の経つのも忘れてのめりこんでしまうはずだ。
  ・オフィス新大陸編「ボードゲーム天国(パラダイス) 01」(竹内書店新社)
  ・オフィス新大陸編「ボードゲーム天国(パラダイス) 02」(竹内書店新社)
  ・オフィス新大陸編「ボードゲームキングダム Vol.1」(エンターブレイン)

ウィザードリィ

 突然ゲームの話をする。サーテックという会社が作った、「ウィザードリィ」というパソコンで動くRPG(ロール・プレイング・ゲーム)がある。第1作目は1981年に出され、8作目まで出ている。ファミコンで1~3作目が、スーパーファミコンで5~6作目が出たので知っている人も多いと思う。プレステでも1~5、7作目が出た。
 歴史的なPC-RPGと言えば、このWizardryかUltimaかだ。Ultimaは今ではオンラインRPGに進化してしまった。私はずっとWizaedry派だ。とは言ってもファミコン版からやり始めたので偉そうなことはいえないが。
 私はDOS/V版(と言っても通じないか)のWizardryの1~7作目と、Windows版の8作目を持っている(残念ながらクリアしたのは1作目だけというひどい状況)。で、Wizardryは5作目までがAppleIIというパソコン(と言っても知らんか)用で出されていた。この5種類あるAppleII版全てのソフトと、AppleIIエミュレータをCD-ROMに収録し、本誌を攻略本になった本があった。鈴木常信「ウィザードリィコレクション」(ローカス)である。たった\2,800で5作のWizardryが楽しめるのだ。本屋で見つけたら、即購入だ!
 Wizardryと似ている(?)ゲームで、ダンジョンマスター(Dungeom Master)というのがある。FM-TOWNS用に初めて日本語版が出て、攻略本なしでほぼクリアした。マッピングするのが大変だった。

January 08, 2005

「インベーダー攻略法」の本

Invader 「インベーダー攻略法」という本を見つけた。1979年発行で、ゲーム攻略本のハシリではないか。インベーダーのやっつけかたやUFOの打ち方、名古屋打ちの方法など、たくさんの画面写真付きで紹介してある。写真を撮るのが大変だっただろうなあ、と思う。
 初めてインベーダーゲームをやったのが中学生の時、八日市の西友のゲームコーナーだった。600点ほどしか取れず、1面すらクリアできなかった。当時インベーダーゲームが大ブームで、タイトーは大儲けしたと思われるが、任天堂の山内社長(当時)はTVで「遊びなんだから(著作件にこだわらず)みんなで使ったらいいじゃないか」というような発言をしていた(NHKの「新・電子立国」でも放送されていたような。。。)。が、ファミコンで大成功したら、正反対のことをするんだから。
 いまさらこんな本手に入れても利用価値は低そうだ。どこでゲームをしたらいいのか。エミュレータを使うという手はあるが(http://www.mame.net/など)、どうせならゲーセンで腕を自慢したいしねー。
 高校2年生のとき、「インベーダーが斜め上から飛んでくるゲームがある」というのを聞いて、やり始めたのがナムコの「ギャラクシアン」だ。当時は最高で25面までクリアできた。それからずっとナムコファンである。