「中間貯蔵施設―『福島の問題』にするな」という朝日の理屈
朝日新聞の9月2日の社説は「中間貯蔵施設―『福島の問題』にするな」だ。
次のように言う。「原発の潜在的なリスクや後始末に伴う負担は国民全体が考えるべき問題だ」。そうかもしれない。しかし「電力消費地とで分かち合うべきだ」というのは「負担を受益と見合う公平なものにしようと考えれば、当然の発言である」というのはいただけない。
原発が立地している地域には政府や電力会社から多額のお金がバラ撒かれている。公共施設やインフラを除いても、各家庭の子供に一戸建ての家を買い与えるほどだという。反対に、電力消費地に住む人々は電気代や税金に上乗せされてこれらの費用を負担してきているではないか。この点を無視して何が「公平」か。
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