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September 2014

September 20, 2014

中山成彬氏による「従軍慰安婦」問題捏造の説明

 朝日新聞は、自社の過去の報道を確認すべき。だが意図的に捏造報道をしているからお構いなしだ。

 2013年3月8日午前の衆院予算委員会で民主・辻元清美氏が歴史問題で安倍首相を追及したが、その後、 維新・中山成彬氏が慰安婦問題についてパネルを用いて捏造であることを説明する場面があった。

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September 06, 2014

9月4日の天声人語

 9月4日の天声人語では、「きのう内閣改造と自民党役員人事があり、登用された者より退けられた者の身の処し方について考えたくなった」とあり、不遇の時期をどう過ごすかが、人物の器の大小を左右するのではないかという事が書かれている。それはその通りかも知れないと思う。最後の一文を除いては。

 「とりわけ、おととし政権を追われた民主党の現状を思いつつ」

 第一次安倍内閣を散々叩きまくり、麻生政権をリーマンショックと絡めて批判し、民主党への政権交代を散々煽ったのが朝日新聞であった。不偏不党などカケラもなかった。もちろん民主党政権の惨状を国民に与えた朝日新聞の謝罪や反省は一切無い。それがマスコミというものなのだろうが。

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「新たな『戦前』にしないために」ってどういう事か?朝日新聞

 8月19日の朝日新聞に、元朝日新聞コラムニストのコラムが掲載されていた。また阿呆な事を言っている。

 「この夏、安倍晋三首相のコピペ問題が起きた。8月6日、広島の平和記念式典のあいさつが去年とそっくりだった。実は、6月23日の沖縄の戦没者追悼式も8月9日の長崎の式典も、みんなコピペだった。『もう戦争はマンネリになってしまったんですよ』という識者の感想も聞いた」

 それで? 式典そのものは毎年繰り返されるのだから、必然的にマンネリ(言葉は悪いが)である。式典の内容や目的が同じなのだから、毎年の挨拶が違っている方がそもそも不自然だろう。

 「ともあれ平和だった『戦後』を、新たな『戦前』にさせないためには、うかうかしていると戦争になっちゃうかもしれないよとふつうの人々が言い続ける以外にない。靖国神社の蝉しぐれの中で、そう思った」

 靖国に参拝したら戦争になるのか。安倍政権が戦争を進めるのか。

 憲法第9条があるから平和だったというのと同じような思考だ。現実を見ていない。イメージや雰囲気でモノを言ってるのかと思う。

 そもそも戦争は相手がいるから起こるものだ。1国だけでは戦争はできない(内戦は別として)。当たり前の事をまず念頭に置くべきだろう。

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「韓国の朴政権―報道への圧迫許されぬ」と朝日新聞は言うが...

 朝日新聞の9月3日の社説は「韓国の朴政権―報道への圧迫許されぬ」。珍しく「産経新聞のソウル支局長が書いた記事をめぐり、ソウル中央地検が2回にわたり支局長を事情聴取した」ことを問題にしている。

 しかし言いたかったのは次の一言ではなかろうか。

 「風聞を安易に書いた同紙の報道姿勢は、反省すべきである」

 まさにお前が言うな、という話だ。先日の「従軍慰安婦」報道についての朝日新聞の言い訳を受け入れたとしても、それは裏付けを取らずに「風聞を安易に書いた」といえるだろう。ましてや朝日新聞は事実を「捏造」して報道しているのだから論外だ。

 この社説でも朝日新聞に都合よく事実が切り取られている。

 「当時は言論弾圧が繰り返され、朝日新聞ソウル支局も閉鎖に追い込まれたことがある」

 中国の文化大革命で産経新聞を筆頭に各社が国外に追放されたにもかかわらず、中国を批判する記事を書かないように徹して、唯一北京に居残ったのは朝日新聞であった。

 「自由と民主主義を勝ち取るために、韓国では多くの命が奪われてきた」

 韓国には日本のような自由はない。「国策」として「従軍慰安婦」を捏造して日本を批判しているし、親日発言をしたら職を奪われて殺されてしまう。また民主主義国でもないように思える。どちらかといえば北朝鮮に近いのではないか。韓国の自由や民主主義が日本と同じ水準であると思って対応したら、判断を誤ってしまうのは間違いない。

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「中国に自由はあるか」というズレた朝日新聞社説

 9月2日の朝日新聞に「中国に自由はあるか」という社説(余滴)が載っている。共産党一党による軍事独裁国家に自由も何もあったもんじゃない。

 チベットやウィグルでの虐殺を見たら、自由どころではない事は明らかだ。毛沢東時代の文化大革命では数千万人の中国人が投獄されたり餓死したりして死亡している。

 ところが朝日新聞は、「中国共産党と『自由』は相性があまり良くなかった」で済ます。そして「社会主義は本来、個人の発展の自由を保障することを目標としたのだから、これは水と油のような話ではないはずだ」と明言する。朝日新聞の正体見たりというところだ。ただ、「だが党や政府を批判する者を投獄し、メディアへの締め付けは厳しい」とは言っている。

 最後に、次のような余計な事を書くのを忘れない。日本と中国を同列に扱っているのが恐ろしい。こんな新聞を読んでいたら常識を無くしてしまう。

 「もっとも、市民の自由を制限しかねない憲法改正案を作った政権党が、あろうことか『自由』を党名に冠している、という国もある」

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「中間貯蔵施設―『福島の問題』にするな」という朝日の理屈

 朝日新聞の9月2日の社説は「中間貯蔵施設―『福島の問題』にするな」だ。

 次のように言う。「原発の潜在的なリスクや後始末に伴う負担は国民全体が考えるべき問題だ」。そうかもしれない。しかし「電力消費地とで分かち合うべきだ」というのは「負担を受益と見合う公平なものにしようと考えれば、当然の発言である」というのはいただけない。

 原発が立地している地域には政府や電力会社から多額のお金がバラ撒かれている。公共施設やインフラを除いても、各家庭の子供に一戸建ての家を買い与えるほどだという。反対に、電力消費地に住む人々は電気代や税金に上乗せされてこれらの費用を負担してきているではないか。この点を無視して何が「公平」か。

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9月2日の天声人語

 9月2日の天声人語を読んだ。相変わらずの「天声人誤」ぶりだ。

 自分の意に沿わない意見には政府による規制を求めている。規制を認めるのは自由に対する侵害だ。規制を求められた政府が国会周辺の鬱陶しい(そして無許可の)デモを規制しようとするのも当然だということが分からないようだ。馬鹿じゃないのか。

 朝日新聞は、自社の意に沿わぬ広告の掲載を拒否したり、一部を消して掲載している。SAPIOなどの雑誌に掲載された朝日新聞を批判する記事に対して抗議をしている。言論には言論で応じればいいのに。

 「そんな不寛容はかえって、市民の声をさらに高めることにしかならないのではないか」って、朝日新聞が一番考えないといけないんじゃないのか。

 引用しておく。

 ↓ここから
 寛容という言葉は、他者を受け入れること、意見の違いを認めること、と辞書にある。そうありたいと願うが、人はしばしば排他的になる。ここに一つの難問が生まれる。不寛容に対しても、人は寛容であるべきなのか▼そうだと明言したのは、仏文学者の渡辺一夫だ。当欄で先日触れた『敗戦日記』の著者は、戦後の随筆にこう書いた。不寛容な姿勢で他者に臨むのは「むしろ相手の不寛容を更にけわしくするだけである」▼渡辺は古代ローマ社会でのキリスト教弾圧を念頭に考えた。すなわち自分とは異なる思想を抹殺しようとすると、かえってその思想を生かすことになる。なぜならそれは、相手に「殉教者」の立場という、抵抗するための強力な武器を与える結果になるからだ、と▼いまの日本社会における不寛容といえば、在日外国人に対するヘイトスピーチだろう。人種差別を扇動する憎悪表現である。国連の人種差別撤廃委員会は先月末、これを法律で規制するよう日本政府に勧告した▼政府はこれまで、表現の自由を理由に法規制には慎重だった。不寛容にも寛容で臨む態度と一応はみえた。勧告にどう対応するか。あろうことか自民党からは、ヘイトスピーチの規制と併せ、国会周辺でのデモや街宣の規制も議論するという話も出た▼どさくさにまぎれて、市民の正当な言論、表現活動をも抑え込もうという発想ならとんでもない。そんな不寛容はかえって、市民の声をさらに高めることにしかならないのではないか。
 ↑ここまで

Nomoreasahisinbun

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