プラチナバンドは900メガヘルツ帯の電波を使うのだが、その電波の3分の2は現在、ICタグの通信や業務用無線などで使用中で、2018年4月になるまで使えない状況だ。ソフトバンクはプラチナバンドの3分の1しか使えないのである。
イー・アクセスの買収に続き、米携帯電話3位のスプリント・ネクステルの買収で近く合意するソフトバンク。派手な買収劇が世間の注目を集める一方で、通信品質改善の切り札として7月に始めた「プラチナバンド」のサービス計画の先行きに暗雲が漂い始めているという。一体何が起こっているのか。
■買収効果どこまで
「高速携帯電話サービスの基地局は来年3月でソフトバンク2万局、イー・アクセスは1万局の合計3万局に増える。通信状態が良くなり、サービスエリアも一気に広がる」。
10月1日、イー・アクセス買収の会見でソフトバンク社長の孫正義は満面の笑みを浮かべ、買収効果をこう強調した。
「つながりにくい」との悪評に悩まされてきたソフトバンクの携帯電話サービス。KDDIに対抗して、アップルの「iPhone5」を経由してパソコンや携帯ゲーム機などをインターネットにつなぐ「テザリング」サービスの実施をすでに決めており、このサービスを開始するとデータ通信量は飛躍的に増え、さらに周波数や通信設備が足りなくなる恐れがあると指摘されていた。
孫が決断したイー・アクセスの買収にはそうした課題を一気に解消する狙いが込められていた。しかも、買収によって新たに420万の顧客基盤まで手に入る。国内での競争力強化に向けて申し分ない買収劇に見えるが、通信業界関係者の間では意外にも買収効果について懐疑的な見方が少なくない。
なぜか。
「違う事業者のネットワークをつないでひとつのサービスとして使えるようにするのは、そう簡単な話ではない」。ある業界関係者が指摘する。
まず、個人の認証や課金の仕組みをソフトバンクとイー・アクセスのネットワークで共通化する必要がある。さらに、ソフトバンクのユーザーがイー・アクセスの周波数を使って高速携帯電話サービス「LTE」でデータ通信している際に電話の着信があった場合、ソフトバンクの電話サービスに切り替えるなどの技術も新たに導入しなければならない。
ライバル事業者の担当者は「どちらのネットワークを使っても正しく課金できるようにシステムを改修したり、基地局に最適に接続したりするには設備の繊細な設定が必要。通話がつながるかのフィールドテストで予期せぬトラブルが出ることもよくある」と説明。「相互利用を2013年春ごろ開始としているが、そううまくいくのか疑問」と指摘する。
■対KDDIで焦り
画像の拡大
基地局の配置にも問題があるという。ソフトバンク、イー・アクセスとも費用対効果を考えて、都心に多く基地局を設置しており、地方は少ない。このため「つながるエリアが一気に増えるわけではない」と別の関係者も指摘する。
総務省の担当者はまた別の懸念を示す。「イー・アクセスのモバイルサービスの契約数は420万件程度。基地局などの設備もその規模に合わせた容量で設計してある。数千万規模のユーザーを持つソフトバンクのユーザーからの通信量を受け止められる余力がそれほどあるとは思えない」というのだ。
「イー・アクセスの買収は契約者の伸びが続いているのを演出する狙いだろう」――。こんな厳しい見方を披露する業界関係者もいるが、あながち偏った見方と言い切ることもできない。それほど最近のソフトバンクの勢いは振るわない。
5日に電気通信事業者協会が発表した9月の携帯電話契約数によると、電話番号を変えずに通信会社を乗り換えられるMNP(番号持ち運び制度)による転入出はKDDIが9万5300件の転入超と12カ月連続の首位。これに対し、ソフトバンクの転入超はわずか1200。これはソフトバンクが 07年4月に転入超に転じて以来、最も低い数字だ。ソフトバンクと同じようにiPhoneが使えて、通信品質に優れると言われるKDDIへの乗り換え傾向が鮮明になっている。
当初は予定になかったiPhone5でのテザリングを急きょ「解禁」、その後、数週間でイー・アクセスの買収交渉をまとめたスピード感の裏側には、対KDDIでの苦戦から来る焦りが見える。イー・アクセスの買収を発表する会見で孫は「テザリングが経営統合を早めた。先日(テザリング開始を)発表したときも、やりたくない気持ちがあった。全国的に障害を起こすリスクがぬぐいきれないから。しかし今回(買収で)構えができたので、12月に前倒しする」と自ら見切り発車のような決断だったことを明かしている。
業界関係者は「スマートフォンやタブレットの普及で通信量の伸びはすさまじい。イー・アクセス買収で得られる帯域だけでは間に合わず、通信品質改善は早晩『プラチナバンド』頼みになる」と口をそろえる。
プラチナバンドとはソフトバンクが新たに割り当てられた900メガヘルツ帯の電波のこと。ソフトバンクがこれまで使っている2.1ギガヘルツ帯やイー・アクセスの持つ1.7ギガヘルツ帯よりも電波が届きやすい性質を持つため、「プラチナ」と呼ばれる。遠くまで電波が届き、ビル影などにも強い。ひとつの基地局のカバーエリアが約3倍に増えるので基地局への投資も比較的少なくて済む。
■1/3しかないプラチナバンド
ソフトバンクはこれまで「つながりにくい」理由はこのプラチナバンドを利用できなかったためだと説明してきた。悲願がかなってようやく手にしたプラチナバンドは今後のソフトバンクの通信品質を支える柱になると見られている。ひっきりなしに流れるテレビCMからもプラチナバンドにかけたソフトバンクの意気込みが伝わってくる。
ところが、7月から使い始めたこのプラチナバンド。実は本来の3分の1しか使えていない状況が続いている。高速道路に例えると3車線あるのに2車線がふさがっているという状態で、まだフルにその恩恵を受けられていない。
なぜ、そんなことになっているのか。
もともと900メガヘルツ帯のうち、3分の2はICタグの通信や業務用無線などの用途で物流企業、タクシー会社、レンタルビデオ会社、図書館など多くの企業・自治体が使っているというのがその理由。ICタグの利用企業だけで約800社。業務用無線で利用するタクシーなども含めると利用事業者数は1万を超える。DVDやCD、書籍などにICタグをひとつずつ貼り付けて、貸し出し実績や在庫などを無線で管理するのに使われている。
つまり、高速道路の例でいえば、すでに2車線は利用されている状態なのだ。2車線をふさいでいる利用者に周波数を変えてもらわないとソフトバンクはプラチナバンドをフル活用できないわけだ。
電波法では2018年3月末までに立ち退くことになっていたが、ソフトバンクの希望で、14年3月末までにソフトバンクが利用者に立ち退きをお願いし、全面的にサービスを始める段取りとなっていた。
しかし、この「立ち退き交渉」は感情的なもつれもあって、その入り口から想定外に難航している。
まず批判の対象になったのはソフトバンクの交渉姿勢。
「別の周波数への移行は国策で、2014年3月末が期限です」。ソフトバンクから立ち退き交渉の電話を受けた企業の担当者は耳を疑ったという。14年3月末はソフトバンクの掲げた目標に過ぎない。ソフトバンクは「2014年3月末の移行は当社の目標であって国策とは説明していない」と弁明するが、電話を受けた担当者にはソフトバンクの対応が国の威光を借りた高飛車な態度と映ったという。
そもそも周波数の移行には膨大な作業をともなう。レンタルビデオ店なら、DVDやCD一枚一枚に貼り付けられたICタグを別のタグに張り替える作業をともない、読みとり装置などの交換が必要になる。生産ラインに活用している場合は不具合の検査などにも相当の人手と時間を要すると言われる。ソフトバンクの立ち退き交渉はこうした面倒な作業を4年早めてほしいと要求する内容で、移行を迫られる企業にとっては大きな負担を強いられる。「ソフトバンクは配慮を欠いている」との不満が利用者の中には根強い。
■総務省から受けた行政指導
さらにソフトバンクの担当者が電話で企業秘密ともなる利用状況を細かく聞こうとしたり、「14年3月が移行期限」と強い調子で主張したりするなど反感を買ってしまうような不手際が相次いでいる。
あるICタグ機器メーカーは「価格までを含めた情報提供を求められたうえ、他社に情報を開示する場合もあると分かった」と憤る。もちろん、どの企業にいくらで売ったかは営業の秘密。「それを我々メーカーの同意なく他社に開示させることなど許されない」
また、ある利用企業は利用状況の調査票を記入していたところに「調査票は返送しなくてもよい」とソフトバンクから連絡がきた。調査票に不備があったためだ。
ICタグを使っているある企業は自らソフトバンクに連絡したところ、「利用企業向けの全国説明会を開催しますので、それまでお待ちください」と言われたが、結局説明会は開催されなかった。
こうしたやり取りが重なった結果、交渉相手の事業者はソフトバンクへの不満と不安を募らせていくことになる。
総務省もこうした状況を問題視しており、7月には計画の遅延を指摘、行政指導に乗り出した。「ソフトバンクが自ら設定した計画と比較して遅れが出ている。こうした状況が続けば、大幅な遅延になりかねないと考えた」と説明する。
複数の企業から抗議の電話を受けたソフトバンクも事態の重大性に気づいたようだ。
「この度私どもの不手際により、一部の免許人様および登録人様には電話でのご連絡などによりご不快並びにご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます」――。強気の交渉姿勢から一転、8月に立ち退き対象の利用者に一斉に送った文書には謝罪の文字が並んだ。
■事業規模より「つながりやすさ」
ただ、今後の立ち退き交渉も簡単に進みそうにはみえない。
周波数が変わると既存のICタグ読み取り機は使えないので、ソフトバンクは新機種を現物支給する方針。この際、受け取る企業に受贈益が発生し、固定資産税や法人税が増える場合があるという。この税金の増加分についてソフトバンクは「利用企業にご負担いただくもの」と主張しているが、ICタグを利用している企業は「手間をかけさせられるうえに金まで払えとは納得できない」と不満をあらわにする。
このほかにも「立ち退きに必要なソフトウエアの改修などで不具合が見つかった場合に誰が負担するのかが明確でない」「読みとり用のソフトウエアを開発したベンダーはすでに廃業している。改修で済まない場合はどうするのか」など不安と疑問の声が尽きないのだ。
総務省が8月に公開した資料によると、6月末時点で交渉対象となるICタグ利用企業約800社のうち協議を開始したのはわずかに1社。ソフトバンクは「9月末時点で協議を経て合意した企業はある」としているが、具体的な数は明らかにしていない。
孫は1日のイー・アクセス買収会見で、立ち退き交渉を「電波の地上げ」と表現、「一生懸命、これまで使っている人から譲り受けるという行為をしなくてはいけない」と焦りをにじませた。
ソフトバンクはイー・アクセスの買収に続き、スプリントの買収に1兆円をはるかに超える巨費を投じ、グローバル規模の通信網をつくりあげようという壮大な構想を掲げる。規模の拡大によって基地局などインフラの調達コストを下げる狙いもあるようだが、この大型買収が「つながりにくい」とされたソフトバンクの携帯電話サービスの改善に直結するわけではなさそうだ。
携帯電話の利用者はソフトバンクの事業規模に興味があるわけではない。通信品質改善の秘策はあるのか、利用者はそこを注目している。
=敬称略
(松浦龍夫)