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April 25, 2012

原発ゼロは危険な「社会実験」だ

 「京都大学原子炉実験所教授・山名元 原発ゼロは危険な『社会実験』だ」(産経新聞:4月25日正論)

 原発ゼロって、失敗するに決まっている。まるでソ連の「社会実験」だ。記事に次のようにある。

 「力供給の不安定と料金の値上げ→深刻な産業への打撃→社会経済全体の疲弊と弱体化」

 これはもうわかりきったことだ。雰囲気だけで脱原発を唱える者は考え直すべきである。もちろん左翼や朝日新聞などは、意図的に日本を弱体化しようとしているのだろうが。

 なぜ、こんな考え方をする日本人が多いのだろう。

 原爆を広島・長崎に落とされたから、日本は核兵器を持たない。

  → 核兵器を保有して二度と原爆を落とされないようにしようとは考えない。

 原発事故が起きたから、原発を廃止しよう。

  → 技術や安全性を高めた原発を開発しようとは考えない。

 やっぱり変。

 なお、「原子力発電所」を「原発」と呼ぶのは、「原爆」のイメージと重ねさせるためという話がある。

 記事を引用する。

 関西電力大飯原子力発電所3、4号機の再稼働問題が混乱している。大きなダメージからの復興のためには、時間軸に沿う優先度を判断しながら躊躇(ちゅうちょ)なく行動を進めていかねばならないが、原発の再稼働問題については、「時間軸上での意味」への認識が少ない。

 ≪タイタニック上の再稼働論議≫

 我が国は、デフレ・財政問題・円高・災害といった多くの困難の中で「沈没」の危機にすらある。全員が乗った船の沈没を止める措置として再稼働の是非が問われているのに、まるで「氷山に衝突して沈みゆくタイタニック号の上で責任追及と政策変更の議論を延々と続けている」ようである。

 「沈没」とは、原発の再開がない場合の経済や社会への影響が想像以上に深刻だ、という意味である。それは「電力供給の不安定と料金の値上げ→深刻な産業への打撃→ 社会経済全体の疲弊と弱体化」という、悲観的で可能性の高い展開を意味する。この危機的状況に時間的余裕があまりないことは、(1)夏場の電力不足の可能性(2)火力発電用の燃料の輸入による膨大な資金の海外流出(3)増えるCO2排出と排出権費用(4)燃料費増加による電気料金値上げ-などが、現実化していることから理解できる。公益事業としてあってはならない電気事業のファイナンスリスクの可能性すら語られ始めた。

 ≪電力供給体制の脆弱性が定着≫

 再稼働問題は現時点で社会経済が沈没しないための、直近の優先度の高い判断の問題なのである。一方、原発ゼロによる現状の危機は、将来の脱原子力による日本経済への深刻な影響を先取りしてみせているという側面もあり、ある種の「危険な社会実験」に突入してしまった感がある。この「社会実験」の結果は一向に収束する気配のない「将来の減原発の議論」に反映されるべきであるが、緊急措置としての再稼働問題と将来構想とは、時間軸上でやや離して判断されてもよいのではないか。

 再稼働の議論が、ピーク時の電力需給だけに偏っていることは問題である。ピーク時の電力不足は「火力の総動員で乗り切れる」とする楽観論は、問題の本質をそらしている。真の深刻さはむしろ、電力供給システムの「体質的脆弱(ぜいじゃく)性の定着」にある。ピーク時の停電危機を厳しい節電などで乗りきれたとしても、供給余力がほとんどなく停電リスクが常に存在し、節電要請が頻繁に発生し、火力発電に過剰に依存するような、電力供給体制の「体質的脆弱性」が継続的に存在することは、安定供給を前提とする産業や業務には致命的であり、それはまさに「安定的な社会基盤の喪失」なのである。

 「埋蔵金があるから」として政権交代を果たした民主党が、財政の体質的強化のために消費増税を進めている様は、この問題と良く似ている。今まで電力大消費地の経済や社会を支えてきた発電所地元の経済的問題についても、「立地交付金がどうのこうの…」という矮小(わいしょう)化された議論ではなく、消費地と生産地の相互依存関係の崩壊という、社会基盤の喪失として真剣に考えるべき問題である。

 ≪「日本沈没」を防ぐ指導力を≫

 再稼働の条件として安全確保が必要であることは当然であるが、これは「社会リスクと安全リスクの対比」として判断されるべきものである。トラウマ的な感覚だけから再稼働を遅らせて社会的なダメージを被る損失はあまりに大きく、絶対安全とまでは言えなくとも、十分な安全の「余裕代」を確保できれば、再稼働して社会リスクを回避するメリットの方が高いという判断は十分にあり得る。

 福島第1原発事故を受けて大飯原発が実施した安全強化措置を見ると、致命的事故に至るまでの余裕(耐性)が福島第1と比べて相当に向上していることは確かであり、「更なる強化措置を速やかに実施する事を条件として再稼働できるレベルに達している」と判断できるのではないか。そもそも、安全強化された3、4号機の稼働を容認できないとするなら、昨年動き続けていた他の原発についてはなぜ稼働を認めてきたのか。

 国の原子力安全規制や防災体制などの改革が必要なのは確かであり、大阪維新の会が出した8条件などの要求は論理的には理解できる。しかし、実効性ある改善には更なる審議や時間が必要という現実の下で、これらを直近の必須の要件としたら、更なる混乱と沈没の加速に繋(つな)がる可能性が高い。

 現行の法的枠組みで取り得る最善の措置を進めると共に、事業者自身による自発的安全強化、規制での技術評価体制の強化、自主的な安全レビュー強化など、取り得るあらゆる安全強化策を進め、これまでよりも慎重な運転体制で臨むことで、移行期における安全を確保し社会の安心を獲得することが最も現実的ではないのか。

 そのための指導力が政治に求められているのである。政府が率先して社会リスクの存在や実効性のある安全確保の状況について、国民や関係自治体に説明を行い、明白な手続きに基づいて再稼働を急ぐことは、「日本沈没」を阻止することにほかならないのである。(やまな はじむ)

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