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March 24, 2012

「校長の『反乱』―教委の強圧を許す司法」ってどこが「強圧」か

 朝日新聞の2月1日の社説は「校長の『反乱』―教委の強圧を許す司法」だ。教委に従うのは教員として当然であって、強圧ではない。一般企業について考えてみればいい。社長の職務命令に対して反対する社員がいるかどうか。また職務命令に対して社員の賛否を問うような職場があるのかどうか。

 もしかしたら朝日新聞社の職場は一般企業とは違うのだろうか。しかし、事に当たっては、社説や天声人語、記事から読者投稿欄に至るまで一斉に同じ見解が載るのだから、職務命令が行き渡っていると推測されるのだが。

 「都教委は(略)、土肥さんのふたつの行動を問題視した」

 「ひとつは、職員会議のメンバーに挙手や採決で意思表示させるのを禁じた都教委の通知を批判し、メディアの取材にも応じたこと。もうひとつは、教員の評価方法をめぐり、やはり都教委に異を唱えたことだ」

 都教委に反抗しているのだから問題視されても当然。

 「都教委は挙手・採決禁止の理由を、学校運営の決定権は校長にあり、職員に影響されてはならないからだと説明する。通知は6年前に出されたが、追随した自治体はない」

 これは多くの自治体が日教組などの左翼に侵されているから。石原都知事の功績である。

 「これに対し、土肥さんは『最後は校長の私が決めるが、挙手で意見を聞いてなぜ悪いのか。職員がやる気を失い、教育現場から議論がなくなる害の方がずっと大きい』と唱えた」

 職員会議の異様さを知れば職員の意見を聞くということがおかしいことがわかる。

 (特に日教組の)教員には、職員会議は学校運営の「最高機関」であるかのように思われており、校長や教頭は敵であり反対することが当然視されている。このような中で意見など聞いても建設的な議論などできない。

 まずは職務命令には従わないといけない、という一般常識を教員に教えないといけないのだ。情けないことである。

 「どちらの意見や対応が教育の場にふさわしいか。土肥さんだと言う人がほとんどだろう」

 この社説では前段で土肥さんの善行を書いてから、判断を読者に委ねている。朝日新聞に誘導されてそう思う人がほとんどになるのかもしれない。恐ろしい事だ。

 「息苦しい学校は、物言えぬ社会に通じる。そこからは明日をになう活力は生まれない」

 学校の現場は日教組などの悪影響で非常に息苦しい。だから公立学校では活力が生まれないのだろう。少子化にもかかわらず私学や塾が流行るのももっともである。

 社説を引用する。

 判決理由からは、いまの学校現場への深い洞察は読み取れない。民主社会でなにより大切にすべき「精神の自由」への理解も、うかがうことはできない。

 がっかりする判決が東京地裁で言い渡された。

 東京都立三鷹高校の元校長、土肥信雄さんが都に損害賠償を求めた裁判の一審は、土肥さんの全面敗訴で終わった。

 3年前、定年退職後も引き続き教壇に立ちたいと望んだが、都教委は認めなかった。790人が応募し、768人が合格したのに、不適格と宣告された。

 土肥さんはどんな校長だったのか。裁判をとおして明らかになった姿はこうだ。

 何百人もいる生徒の名前を覚え、声をかける。社会的リーダーの育成を目標に掲げ、補講のコマ数を増やす。定時制クラスにも顔を出し、さまざまな事情を抱える生徒と交流する。

 保護者や地元有識者らがしたアンケートでは、生徒の85%、保護者の95%が「この高校に入学して良かった」と答えた。

 だが、都教委はこうした評価には目を向けず、土肥さんのふたつの行動を問題視した。

 ひとつは、職員会議のメンバーに挙手や採決で意思表示させるのを禁じた都教委の通知を批判し、メディアの取材にも応じたこと。もうひとつは、教員の評価方法をめぐり、やはり都教委に異を唱えたことだ。

 どちらも組織の一員としての立場をわきまえず、協調姿勢に欠けると判断した。

 都教委は挙手・採決禁止の理由を、学校運営の決定権は校長にあり、職員に影響されてはならないからだと説明する。通知は6年前に出されたが、追随した自治体はない。

 これに対し、土肥さんは「最後は校長の私が決めるが、挙手で意見を聞いてなぜ悪いのか。職員がやる気を失い、教育現場から議論がなくなる害の方がずっと大きい」と唱えた。

 だからといって、会議で挙手させたり採決したりしたわけではない。「悪法も法」として、通知自体には従っていた。

 どちらの意見や対応が教育の場にふさわしいか。土肥さんだと言う人がほとんどだろう。

 それなのに東京地裁は、再雇用は都教委に幅広い裁量権があると述べ、不採用を追認した。

 力をもつものが異議申し立てを許さず、定年後の生活まで人質にして同調を強いる。こんな行きすぎを押しとどめるのが、司法の役割のはずだ。

 息苦しい学校は、物言えぬ社会に通じる。そこからは明日をになう活力は生まれない。

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