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March 31, 2012

誰が百科事典を殺したのか

 「誰が百科事典を殺したのか」(産経新聞:3月17日)

 『ブリタニカ百科事典』書籍版の出版打ち切りが発表された。ネットの普及、特にWikipediaの影響かと思ったがそうではないようだ。Britannica社は既に1996年に破産している。「いま死につつあるのは、『威信の象徴』としての印刷物なのだ」という。わしが子供の頃、自宅にはブリタニカ百科事典があった。今となっては内容が古くなっているだろうが、調べ物をするのに重宝したものだし、何といっても本棚にずらりと並んでいるのが格好良かった。

 「いままで大百科が鎮座していた居間にパソコンが置かれるようになったことが、偉大なブリタニカ百科事典の終わりを意味していた」

 そうだろうなあ。わし自身もCD-ROM版のブリタニカ百科事典(英語版:安かった)を持っているし。今では電子辞書にさえ、ブリタニカ百科事典が搭載されている。

 記事を引用する。

 『ブリタニカ百科事典』書籍版の出版打ち切りが発表された。オープンソースのWikipediaが閉鎖的なブリタニカに勝利した結果として見ることは簡単だが、その見方は歴史を忘れているものだ。「威信の象徴としての印刷物」が死につつある現代について考える。  わたしはこれまで、書籍版の『ブリタニカ百科事典』を所有したことがない。米Encyclopaedia Britannica社[現在は米国の会社]が、『オックスフォード英語辞典』(OED)のように、書籍版を廃止してオンライン版だけにすると発表したいまとなっては、これからも所有することはないだろう。

 わたしはずっと、ブリタニカ百科事典が欲しかった。子どものころ、両親はさまざまな事典を持っていた。近所の店で母親が買ってくれた子ども向けの百科事典は、隅から隅まで読みふけった。1952年からある『ワールドブック百科事典』は、祖父母がアイルランドから移民として米国にやってきたときに、すぐ購入したものだった。高校のプロムにはブルガリア生まれの女子学生を誘ったので、ワールドブックでブルガリアの項目を勉強し、同国が「無神論者的で抑圧的な共産主義の圧政下にある」ことを学んだ。同事典は、イデオロギーを印刷し、子孫たちに伝える役割を持っていたのだ。

 それは事典のバージョンが古かったからではない。言ってみれば、百科事典というものがそもそも持っている性格から来るものだ。居間に置かれた百科事典というのは情報レファレンスというよりも、むしろ精神的な意味のある家具のひとつだった。われわれの居間が、快楽主義的なテレビに完全に支配されているのではないということを、訪問客に、そしてわれわれ自身に示すという意味があったのだ。

 印刷物はこれからも残り、書籍も残り続けるだろう。いま死につつあるのは、「威信の象徴」としての印刷物なのだ。

 歴史家のヨニ・アッペルバウムによると、ブリタニカ百科事典は、書籍版が文化的プロジェクトとして出発した当初から、「知識そのもの」と同じくらい「知識の外見」に大きな意味があったという。「250ドル相当の書籍を中流階級に1,500ドルで販売し、親たちは自分の子どもを優位に立たせるために購入した」と同氏はわたしに説明した。

 「ブリタニカ百科事典のページを実際に開いた人は、ほとんどいないのではないかと思う」とアッペルバウム氏は語った。『The Crisis at Encyclopedia Britannica』(ブリタニカ百科事典の危機)という研究(PDF)の著者たちは、「Britannica社自身の調査で、典型的な所有者は1年に1回も本を開いていないことがわかっている」と述べている。

 「[米Microsoft社のCD-ROM版百科事典]『Encarta』が、知識を低価格なものにしたわけではない」とアッペルバウム氏は語る。「だが、ブリタニカ百科事典に代わって技術が、心配性の親が子どものために金で買える『強み』としての役割を担うようになった。親たちは子どもに、百科事典の代わりに新しいパソコンを購入するようになったのだ」

 わたしがEncartaについてアッペルバウム氏に尋ねたのは、Encartaはブリタニカ百科事典の歴史におけるひとつの重要なエピソードだからだ(いまでは忘れられているかもしれないが)。Microsoft社は1980年代の『Windows 1.0』のころ、パソコン向けブリタニカ百科事典の開発をBritannica社に持ちかけたが、拒絶された。そこでMicrosoft社は、米Funk & Wagnall社と提携し、ブランド名をEncartaに変更してこのプロジェクトに力を注いだ。Encartaには、『Microsoft Word』や『Excel』といった生産性アプリケーション以上に、パソコン販売に貢献する可能性があったからだ。

 ブリタニカ百科事典の歴史にとっては、『Wikipedia』よりもEncartaのほうが大きな意味を持つ。今回の廃止決定を、オープンソースのWikipediaが閉鎖的なブリタニカに勝利した結果として見ることは簡単だが、その見方は歴史を忘れているものだ。

 Britannica社は1996年に破産した。ジミー・ウェールズが、自由にアクセスできるクラウドソース化された『Wikipedia』を開設するはるか以前のことだ[Wikipediaの設立は2001年]。Britannica社の1990年の売り上げは6億5,000万ドルだったが、1996年に同社は総額1億3,500万ドルで買収された。

 Britannica社の失敗は、同社がCD-ROM版やオンライン版の類似製品を開発しなかったからではない(それどころか、同社は1989年に初めてのCD-ROM版百科事典を発売し、1994年にオンラインサービスも開始した)。Microsoft社も、Encartaから収益を挙げていたわけではない。

 Encartaは低価格なマルチメディアの百科事典で、「大百科」にはほど遠かった。だがそれは、Microsoft社が家庭向けに『Windows』搭載パソコンを販売するのに役立った。そして、いままで大百科が鎮座していた居間にパソコンが置かれるようになったことが、偉大なブリタニカ百科事典の終わりを意味していたのだ。自由で無料のオンライン百科事典がブリタニカに勝ったのではなく、すでにパソコンが勝利していたのだ。

 情報源として以外に、書籍版のブリタニカ百科事典が所有されていた主な理由は、家庭におけるトーテムのような役割を果たすことだった。しかしその地位は、ずいぶん前からパソコンが奪っていた。Encartaに続いてWikipediaと『Google』、そしていまではウェブ全体の活発な情報経済に支えられる形で。

 わたしが子どもだったころ、両親のテレビは木製のキャビネットに入っていた。巨大で頑丈であり、その隣にあった本棚よりもクールで華やかだったが、それでも、本棚が持つ権威や力のイメージをテレビが借りていたのは明らかだった。

 現在、両親のテレビは、おそらくほかの多くの人と同様にベゼルが薄いフラットスクリーンになった(彼らもやっと新時代に適応したのだ)。テレビはいまやコンピューター・モニターを真似るようになった。両親の百科事典は現在、テレビの陰に隠れている。これらのことは偶然ではない。

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