バース、掛布、岡田…3連発「奇跡」の理由 歓喜の日本一へ
産経新聞(産経NEWS WEST)のページに、「バース、掛布、岡田…3連発『奇跡』の理由 歓喜の日本一へ」という記事がある。昭和60年(1985年)のことだ。懐かしいなあ。わしは昭和55年頃から阪神ファンになったのだが、昭和60年に限っては春季キャンプの頃からプロ野球ニュースで報道される阪神戦を、毎日のようにビデオに録画していた。まさか優勝するとは思ってもいなかった。
バース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発も、プロ野球ニュースで観た。録画もしたのだが、ビデオテープが今や行方不明である。
夏場を過ぎてもまだ阪神が優勝戦線に残っているので、「もしかしたら」という思いがあった。毎朝購読していた日経新聞がいつの間にかスポーツ紙に変わってしまった。優勝した日のスポーツ紙はほぼ全部買った。これもまた行方不明である。ゴミに出されたかもしれない。
残念だったのは、テレビでプロ野球中継を観れなかったことである。仕事が大変で、毎日朝8時40分から夜の10時30分まで働いていた。定時(午後5時30分)に退社できたのは、阪神が負けなければ優勝の決まるヤクルト戦があった日だけであった(社員の多くが阪神ファンだったから)。
阪神は結局引き分けで優勝を決めたのだが、翌日出社したら、巨人ファンの同僚から、「せこい優勝の仕方だったなあ」と嫌味を言われたのを今でも覚えている。
記事から抜粋する。
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試合は先発の工藤が七回に1点を追加され1-3とリードを許していた。巨人のマウンドには槙原。一回に1点を失ったあとは尻上がりに調子を上げ、七回に拙守で失った1点がダメ押し点のように思えた。そんな七回裏に「奇跡」は起こった。
先頭の木戸が中前安打で出塁。工藤の代打・長崎は倒れたが、木戸の代走・北村が二盗を決める。真弓が四球を選び1死一、二塁。弘田が左飛に打ち取られ2死一、二塁でバースの登場だ。打席で大きく深呼吸をする。初球だった。真ん中に入ってきたシュートを完璧(かんぺき)に捕らえると打球はセンター、クロマティーのはるか頭上を越え、バックスクリーンのど真ん中へ飛び込んだ。
今季初ホーマーが逆転の3ラン。ガックリと気落ちした槙原から今度は掛布がストレートをバックスクリーン左へ叩(たた)き込む。「岡田も打つで…」。スタンドの予感通り、岡田がこれまた槙原の初球スライダーをバックスクリーンへと運んだ。サーッと鳥肌が立った。
阪神にとって昭和51年9月19日、甲子園での広島戦で六回に中村勝広、掛布雅之、ラインバック、田淵幸一が4連発を放って以来の3連発。もちろん、バックスクリーンへの3連発は球団史上初。
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