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December 08, 2011

日米開戦70年 日本人自らの目で検証を 同盟強化こそ平和を守り抜く

 産経新聞の12月8日の社説は、「日米開戦70年 日本人自らの目で検証を 同盟強化こそ平和を守り抜く」だ。1941年12月8日の真珠湾攻撃にふさわしい題材といえる。

 産経新聞は社説で次のように書いている。「 戦後の東京裁判(極東国際軍事裁判)で、日本は満州事変(昭和6年)以降、中国などへの侵略を企図したとして、一方的に裁かれた。近年、そうした“日本断罪史観”はしだいに力を失い、あの戦争を日本人自らの目で冷静に見つめ直そうという研究が盛んになっている。歓迎すべき傾向だ」。その通りだ。今から10年前に「あの戦争は自衛戦争だった」などど言うと、「右翼」とか「軍国主義者」などと言われていたことを思うと感慨深い。
 社説では日米戦争がどの時点で不可避になったかを挙げている。次のようにだ。
 ・昭和15年9月の日独伊三国同盟締結時
 ・昭和16年7月の南部仏印(現ベトナム)進駐

 しかしこれらは誤っていると思う。産経新聞が次に書いている。「他方、戦争の原因は当時のルーズベルト米大統領の対日姿勢にあったとする考え方もある」

 これが正しい見方であろう。そもそもアメリカは日露戦争集結後、鉄道王ハリマンが満州鉄道の共同経営を持ちかけたが、日本は受け付けなかった。そして、日露戦争は有色人種の国は白人の国を初めて破った戦争であった。アメリカは危機感を抱き、「オレンジ計画」を策定し、日米開戦へ向かわせたのである。

 ルーズベルト大統領や米軍首脳は日本の真珠湾攻撃を予測していたが、ハワイの米軍が本気にしなかった(又はハワイに情報を伝えなかった)ため、結果的に「奇襲」となった。更に日本大使館の不手際により、アメリカ政府への宣戦布告が遅れ、それがアメリカの反日世論を沸騰させてしまったのだ。

 戦後、GHQ(アメリカ)は日本において検閲や焚書を行った。アメリカが禁じた「地政学」によれば、日本とアメリカは太平洋をはさんだ海洋国家なので、両国の衝突は不可避であった。

 社説を引用する。

 ↓ここから
 日米戦争に突入した真珠湾攻撃から70年たった。先の戦争で日本は310万人の尊い命を失い、敗れた。日本はなぜ、戦争の道を選んだのか。回避する道はなかったのか。当時の国民が総力を挙げて戦ったあの戦争の意味を改めて問い、考える日としたい。

 真珠湾攻撃は日本時間の昭和16(1941)年12月8日未明、日本の海軍機動部隊がハワイの真珠湾に停泊中の米太平洋艦隊を急襲し、日米戦争の火蓋を切った戦いである。米国では「だまし討ち」とされ、「真珠湾を忘れるな」という言葉が今も残る。

 ≪力を失う日本断罪史観≫

 戦後の東京裁判(極東国際軍事裁判)で、日本は満州事変(昭和6年)以降、中国などへの侵略を企図したとして、一方的に裁かれた。近年、そうした“日本断罪史観”はしだいに力を失い、あの戦争を日本人自らの目で冷静に見つめ直そうという研究が盛んになっている。歓迎すべき傾向だ。

 どの時点で日米戦争が不可避になったのかについて、昭和15年9月の日独伊三国同盟だったとする見方が有力である。

 三国同盟には、後に旧ソ連を加えた四国同盟に発展させ、米国との戦争を避ける狙いがあった。しかし、翌16年6月、独ソ戦が始まり、この構想は破綻した。日本はこの時に三国同盟から離脱し、米国との関係修復に全力を注ぐべきだったとする研究もある。

 16年7月の南部仏印(現ベトナム)進駐で、日本は後戻りできなくなったとする見方も有力だ。

 これは、中国・蒋介石政権への米英の支援(援蒋ルート)を断つ目的もあって、フランスとの話し合いによって平和裏に仏領インドシナに軍を進めた作戦である。ところが、米国は日本の予想に反して在米日本資産を凍結し、日本への石油輸出を禁止したため、日米開戦は避けられなくなった。

 他方、戦争の原因は当時のルーズベルト米大統領の対日姿勢にあったとする考え方もある。

 中西輝政京大教授は「正論」12月号の「大東亜戦争の読み方と民族の記憶」と題する論文で、「ルーズベルト政権はアメリカの歴史でもめずらしい反日政権」とした上で、「日米戦争の本質は『ルーズベルト』という存在によって決定的に引き起こされた戦争であった」と指摘している。

 それでもなお、戦争回避策がなかったかを探る検証作業を怠るべきではない。戦争体験者が少なくなりつつある今、それは戦後世代の務めである。

 東京・九段の靖国神社には、幕末の戊辰戦争以降、国のために死んだ246万余人の霊がまつられている。このうち213万余柱は先の大戦の死者だ。今日の日本の平和と繁栄がそうした国民の尊い犠牲の上に築かれていることを忘れてはならない。戦死者に対する慰霊も、戦後世代に託された重要な役割の一つである。

 ≪慰霊も戦後世代の務め≫

 首相の靖国参拝は、小泉純一郎元首相が平成18年の終戦の日の8月15日に参拝して以降、途絶えている。国民を代表して首相が靖国神社に参拝することは、国家のリーダーとしての責務である。野田佳彦首相が一日も早く、その責務を果たすことを期待したい。

 戦後日本は、米国と安全保障条約を結ぶことによって平和を確保する道を選択した。その間、安保反対闘争(昭和35年)などもあったが、日米同盟によって戦後日本の平和が維持されてきたことは紛れもない事実である。

 民主党政権になって、鳩山由紀夫首相が米軍普天間飛行場の移設先を「最低でも県外」とする“公約”にこだわり、日米同盟が揺らぎかねない事態を招いた。

 日米合意に基づく名護市辺野古への移設を早期実現すべきことは言うまでもない。中国が軍備拡張を続け、北朝鮮の核の脅威が増す中で、同盟の弱体化は日本の平和と安全に重大な危機をもたらす。最近、鳩山氏が辺野古以外の移設先を求める発言を蒸し返しているのには開いた口が塞がらない。

 今年、日本は東日本大震災という敗戦以来の国難に遭遇した。被災者救出や復旧に10万人の自衛隊員が動員され、在日米軍などと共同で「トモダチ作戦」を展開し、両国民に深い感動を与えた。

 精強な自衛隊と日米同盟の強化が、二度と戦争への道を歩まないための最善の道であることを、改めて肝に銘じたい。
 ↑ここまで

 なお、昨日の朝日新聞の社説の結論と比べれば、両者の違い明らかなことがわかる。朝日新聞は日本が中国の意を酌むよう主張しているのだ(下記)。

 「中国ナショナリズムの軽視と米国の意図の読み違いが、日本を戦争に追い込んだことを考えれば、この言葉は重い。まさにいまも、強大化する中国の意図をどう見すえ、米国との関係をどう再構築するのかが、この国の死活的な問題になっている」

 ついでながら、毎日新聞の12月8日の社説「日米開戦70年 歴史から学ぶ政治を」からも抜粋しておく。

 「太平洋戦争は、中国や東南アジアの市場や資源を巡る日米両国の対立が背景にあった。その教訓を踏まえれば、日米中やインドなど力を持つ国が開かれた貿易体制を作り、どの国も孤立させないことが、平和で安定したアジア太平洋を維持するカギであるのは論をまたない」

 あれ?これってアメリカを除けば、大東亜共栄圏構想と同じではないか。

 「沖縄は太平洋戦争末期に激しい地上戦が行われ、民間人9万人以上が命を落とした。島が焦土と化す中、現地司令官だった大田実海軍中将は『沖縄県民斯(か)ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ』との電文を残し自決した。戦後の日本が、この言葉を胸に刻みながら沖縄と向きあってきたとは言えない」

 当時の日本は避け得ない自衛戦争をしたのである。日本政府ではなくアメリカが悪いのである。そういう意味では、アメリカに基地を占有されるのは反対だ。しかしその代わりに自衛隊を重点配備しなければならない。

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