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December 07, 2011

真珠湾70年―危機の時代へ三つの教訓

 朝日新聞の12月7日の社説は、「真珠湾70年―危機の時代へ三つの教訓」である。所詮朝日新聞なので内容は信用できない。唯一まともだったのは「当時(世界恐慌後)は、列強各国が権益を守るためにブロック経済に走り、戦争を招いたのだ」という記述だけ。しかしこの箇所以外は日本に戦争責任があるかのような記述に終始している。

 朝日は「私たちは真珠湾に至った歴史から三つの教訓を学ぶべきだと考える」といい、次の三点を挙げている。

 「ひとつは、危機の時代には、単純な解決を性急に求めないことだ。戦前は政党政治の迷走の果てに、軍部による独裁的な政治に行き着いた。その過程で、国民は武断政治に活路を見いだそうとしていた」

 「ふたつめは、危機の時代にこそ、意見の多様性を尊重することだ。かつて、異論を唱えるものに『非国民』とレッテルを貼る風潮が、自由にものを語りあう空気を社会から奪った」

 「三つめは、世界に目を向けるときは、あわせて他者の視座でわが身を見ることだ」

 一つ目の「軍部による独裁的な政治」というのは言いすぎだろう。何せ「15年戦争」をしているのだから、戦時体制として軍部が権力を持つのが当たり前だろう。「国民は武断政治に活路を見いだそうとしていた」のには、朝日新聞などのマスコミの影響があったはずだ。

 二つ目に関して、朝日は「相手の言い分に耳を傾けない勇ましい議論や、異なる見解を封じ、憎悪をあおるナショナリズムには警戒すべきだ」と言い、日本の「憎悪をあおるナショナリズム」を批判しているが、すぐ後に、「中国ナショナリズムの軽視と米国の意図の読み違いが、日本を戦争に追い込んだ」とある。中国のナショナリズムこそが「憎悪をあおるナショナリズム」であった。満州在住の日本人が虐殺された事があるのは周知の事なのだが。また、「米国の意図の読み違い」とは何か。アメリカは日本の主張には全く耳を貸さず、日本に不利な要求を突きつけた(ハル・ノート)。読み違いというレベルの話では無い。

 三つ目で、朝日新聞は、「日本で最大の不自由は、国際問題において、対手(あいて)の立場を説明することができない一事だ」という戦前・戦中のジャーナリストの言葉を載せている。しかし、朝日新聞が相手の立場を説明したとは、聞いた事がない。

 あと、社説で「第2次大戦後の繁栄は、冷戦期の米国の強い先導力のもと、日本が平和を享受できた証しだ」と書いている箇所がある。朝日新聞はいつの間にか、日米安保条約に賛成していたのである。

 社説を引用する。

 ↓ここから
 太平洋戦争の開戦から、あすで70年になる。

 日本の機動部隊が、ハワイ・真珠湾の米太平洋艦隊を急襲した知らせに、国民は熱狂した。「ああこれでいい。これで大丈夫だ」(小説家の伊藤整)、「身体がキューッとなる感じ」(俳優の徳川夢声)。だが、それは3年8カ月後の全面敗北に至る転落の始まりだった。

 真珠湾はさまざまに総括されてきた。日本では、圧倒的に強い米国に無謀な戦争を挑んだ理由が問われた。軍部の暴走か、政治の混迷に原因があるのか。メディアが火に油を注いだ国民の熱狂のためか。

 米国にとっては「不名誉の日」(ルーズベルト大統領の戦争教書演説)である。相手をあなどった結果の失態として語り継がれる。冷戦時代にはソ連に備える教訓となり、2001年の同時多発テロは新たな「真珠湾」とされた。

■国際秩序の破断点

 歴史はたえず現在に照らして問い直される。ならば、欧州発の経済危機がとどまるところを知らず、民主主義の未来が危ぶまれつつある今日、真珠湾はどんな意味を持つのか。

 ひとつの視点として、開戦を日本政府の判断の過ちや、日米対立の産物ととらえるだけでなく、もう少し広く歴史を見渡して位置づけてみる。

 すると、真珠湾は1929年の大恐慌から混迷を深めた国際秩序が、アジア・太平洋地域でもついにこわれてしまった破断点だったといえるだろう。

 当時は、列強各国が権益を守るためにブロック経済に走り、戦争を招いたのだ。

 それに比べて、いまはG8、G20といった多様な国際連携の枠組みがある。多くの分野で政策協調の必要性も広く理解されている。

 だが一方では、世界貿易機関(WTO)が立ち往生し、へたをすると各国がブロック経済へと突き進む恐れもある。インターネットの時代、危機は瞬時に世界を駆けめぐり、破局から避難できる場所はどこにもない。

 歴史上、同じドラマが起こることはない。だが、歴史が似たような過ちを繰り返すのも事実だ。人間はしばしば、みずからの欲望や政治的なパワー、技術力を制御できなくなってしまうからだ。

■内外の安定は一体

 近代日本の歩みは、国内の安定と国際的な平和が一体的に支え合っていたことを教えてくれる。大正デモクラシーから20年代の協調外交は、第1次大戦後の国際情勢を映していた。第2次大戦後の繁栄は、冷戦期の米国の強い先導力のもと、日本が平和を享受できた証しだ。

 逆に言えば、国際関係にさざ波が立つと、日本は不安定になる。そこに国内政治の揺らぎが重なり、内外の危機が共振し合った先に、真珠湾があった。

 いまの日本は、内では政権交代が政治を刷新できずに国民の失望を深め、外では米国の影響力低下と中国の台頭によるアジアの不安定化に直面している。

 内外とも混迷するいまだからこそ、私たちは真珠湾に至った歴史から三つの教訓を学ぶべきだと考える。

 ひとつは、危機の時代には、単純な解決を性急に求めないことだ。戦前は政党政治の迷走の果てに、軍部による独裁的な政治に行き着いた。その過程で、国民は武断政治に活路を見いだそうとしていた。

 いまの政治も小泉首相以来、断定的な言葉で世論の受けを狙う「劇場型」が幅を利かす。複雑に利害が絡み合う問題は、一刀両断にはできない。周到な準備と粘り強い実行力が要ることを忘れてはならない。

■他者の視座を持って

 ふたつめは、危機の時代にこそ、意見の多様性を尊重することだ。かつて、異論を唱えるものに「非国民」とレッテルを貼る風潮が、自由にものを語りあう空気を社会から奪った。

 相手の言い分に耳を傾けない勇ましい議論や、異なる見解を封じ、憎悪をあおるナショナリズムには警戒すべきだ。少数者の意見を尊重することが、選択肢を広げていくのだ。

 三つめは、世界に目を向けるときは、あわせて他者の視座でわが身を見ることだ。

 「日本で最大の不自由は、国際問題において、対手(あいて)の立場を説明することができない一事だ。日本には自分の立場しかない」。視野の狭い外交論議を批判した戦前・戦中のジャーナリスト清沢洌(きよし)の言葉である。

 中国ナショナリズムの軽視と米国の意図の読み違いが、日本を戦争に追い込んだことを考えれば、この言葉は重い。

 まさにいまも、強大化する中国の意図をどう見すえ、米国との関係をどう再構築するのかが、この国の死活的な問題になっている。

 米歴史家モリソンが「戦略的な愚行」と呼んだ真珠湾攻撃から70年の日に、改めて三つの教訓を胸に刻む。
 ↑ここまで

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