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August 22, 2010

疑問だらけの16日付朝日新聞社説

 産経新聞のページに、「【高橋昌之のとっておき】疑問だらけの16日付朝日新聞社説」という記事がある。よくぞ書いてくれたという気持ちで一杯である。産経新聞の言い分が正論であるから、朝日新聞はまともな反論など出来ないであろう。論点をはぐらかすのが朝日新聞の常套手段だが...。

 朝日新聞を読んでいたら馬鹿になるという好例である。

 なお、わしもこの社説、「党首選のあり方―政権交代時代にあわない」を読んだときに、朝日新聞の嫌らしさを感じている。

 記事を引用する。

 ↓ここから
 16日付朝日新聞の社説「党首選のあり方 政権交代時代に合わない」を読んで、その論理があまりにも疑問だらけで、驚いてしまいました。社説といえばその新聞社の「主張」で、ベテランの専門記者である論説委員が会議などを経て執筆にあたりますが、とてもそうは思えない論理展開でしたので、今回はその社説を引用しながら、私の見解を述べたいと思います。

 社説では「民主党代表選が行われる前に、党首の選び方のそもそも論を考えておきたい」と前置きし、「今回の民主党代表選になにか釈然としない思いを抱く人も少なくないと思う」としたうえで、2つの疑問を提起しています。

 第1の疑問は「新代表が首相になる。毎年のように首相が代わったあげく、今度は3カ月でお払い箱か。こんなに短命政権続きで日本は大丈夫か」というものです。

 確かに、政権の不安定な状態が続いていることは、国内的にも国際的にも良くないことですが、私はその最大の原因が党首選にあるとは思いません。自民党政権時代の安倍晋三、福田康夫両元首相は、参院での過半数割れで政権運営が困難になったことを理由に、自ら辞任しました。鳩山由紀夫前首相の辞任も、社民党の連立離脱で参院選を前にして、参院で問責決議案が可決されそうな危機的状況に陥ったためです。

 これに限らず、宇野宗佑、橋本龍太郎の両元首相も参院選敗北の責任をとって辞任しました。つまり、日本の首相を短命にしてきた最大の要因は参院にあるといっていいのです。少なくとも平成になってから、党首選で敗れたために首相を辞任したケースはありません。朝日新聞社が首相の短命が問題だと考えるなら、参院改革こそ取り上げるべきではないでしょうか。

 社説が示した第2の疑問は「菅氏は先の参院選で敗北しても首相を辞めなかったのに、なぜ一政党内の手続きにすぎない投票の結果次第で首相を辞めなければならないのか」ということです。

 しかし、菅直人首相が参院選で大敗してもその直後に辞めなかったのは、まさに9月に代表選があり、そこで党内の審判を受けるということが前提だったからです。9月に代表選がなかったら、参院選直後に党内から責任を求める声が巻き起こって、すぐに辞任に追い込まれていたかもしれません。

 また、「一政党内の手続きにすぎない投票の結果次第で首相を辞めなければいけないのか」という疑問についても、日本が議院内閣制であることを忘れてしまっているのではないかと思ってしまいました。

 言うまでもありませんが、憲法上、首相は国会議員の議決で選ばれることになっています。国会議員が所属する政党で党首選が行われたら、その結果に従って、選ばれた党首を首相に指名するのは当然です。これがいけないというのは、憲法で規定された議院内閣制を否定することになってしまいます。

 社説はこの2つの疑問に答える形で、「自民党の一党支配が盤石だった頃、首相は党総裁選で事実上、決まった。総選挙を通じた政権交代など想像できない時代だったから、それが通った。いまは、有権者が総選挙を通じて新しい首相を直接指名し、政権交代を起こしうる時代になった」とし、「総選挙よりも党内手続きを優先し、党の都合で首相を交代させる従来のやり方は正当性を失ったといっていい」と結論づけています。

 衆院に小選挙区制が導入されたことによって、二大政党による政権交代可能な政治に近づいてきたのは確かですが、それをもって党首選による首相交代を「正当性を失った」とまでいうのは、これまた議院内閣制を否定する、あるいは理解していないとしかいいようがない論理です。

 総選挙は「政権選択の場」ですが、それはどの政党に政権を託すのかということ、つまり選択の基本的な主体は政党です。中選挙区制が廃止されて小選挙区制が導入されたのも、候補者から政党本位の選挙とし、二大政党による政権交代可能な政治にすることが目的でした。

 その中で、どの党首が首相にふさわしいかは、有権者にとって投票先を決めるひとつの要素にすぎません。有権者はマニフェスト(政権公約)などを含め、総合的に判断して政権を託したいと思う政党や候補者に投票しているはずです。

 朝日新聞社として、有権者が首相を直接指名するようにすべきだと考えるなら、憲法を改正して「議院内閣制」ではなく「首相公選制」とするよう、堂々と主張すればいいのではないでしょうか。

 あるいは、総選挙の審判を受けていないのは菅首相も同じですから、「9月の民主党代表選でだれが選ばれようとも、衆院解散・総選挙で信を問うべきだ」と主張すべきだと思います。それならまだ論理の筋が通りますが、「党首選のあり方」という議論にしてしまうのはどうかと思います。

 さらに、あぜんとしたのは、社説の締めくくりです。「改革の方向性ははっきりしている。現状では党首の任期は総選挙の時期と無関係に決められているが、これを見直すことである」とし、「首相候補である党首は、原則として総選挙の前にする」ことを提言しています。

 社説は「現実的なアイデアだろう」と自画自賛していますが、全く逆で「非現実的」なことは明白です。衆院議員の任期は4年ですが、首相には衆院の解散権があり、総選挙はいつ行われるかわかりませんから、その前に各党が党首選を行うようにするということは、そもそも不可能なのです。

 こうした疑問を、社説の筆者は書いていて抱かなかったのでしょうか。また、社説は他の論説委員や社の上層部もチェックするはずですから、内容の是非について意見は出なかったのでしょうか。不思議でなりません。

 社説はわざわざ、「むろん9月の代表選は公明正大にやってもらおう。それとは切り離して、今後の党首選のあるべき姿を議論しておくことは有益だと考える」とことわっています。しかし、読んでみて、結局主張したかったことは、菅首相を9月の民主党代表選で代えるのはよくないということかと感じたのは、私だけでしょうか。

 その意図がありながら、直接的には書けないものだから、オブラートで包んで「党首選のあり方」という議論にすり替えたのではないかと、うがって考えてしまうような表現や論理展開が随所にみられるのです。

 各党の党首選は、9月の民主党代表選に限らず、それぞれの政党が決めた規約にのっとって、それこそ公明正大に行われたらいいと思います。有権者はその経過や結果もきちんと見極めて、その政党を支持するかどうかを判断するはずです。結果としてどの政党が政権をとるかどうかは、来るべき総選挙で有権者が審判を下す、それに尽きると思います。
 ↑ここまで

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