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August 01, 2010

辻元氏は唾棄すべき「権力の亡者」

 産経新聞のページに、「辻元氏は唾棄すべき『権力の亡者』」という記事がある。全国紙でよくぞここまで書いてくれたという気持ちだ。他紙も見習うべきである。

 記事を引用する。

 ↓ここから
辻元離党劇に思う

 「かつては野党で批判の急先鋒(せんぽう)に立った。が、それだけで日本を変えることはできないという思いが強くなった」

 こう言って社民党を離れ、無所属の政治家となることを明らかにした辻元清美・前国土交通副大臣。彼女の会見に奇妙な思いを抱いた人はどのくらいいただろう。

 辻元氏は国土交通副大臣となってからの日々を振り返りながら「私は、現実との格闘から逃げずに国民のための仕事を一つずつ進めていきたいという思いが強くなった」と離党の理由を語った。

 報道では護憲や米軍普天間飛行場移設問題で原則論を唱える福島氏ら執行部との確執もクローズアップされていた。

 2人を並べ「かたくなに原則論を唱える福島氏」と「それに嫌気がさした辻元氏」と対比させる向きもあるのだが、私が感じたのは辻元氏はいつから柔軟な現実主義者のような立ち位置を得たのだろうという疑問だった。彼女を「現実論者」と評するくくりにまず、どうしても違和感を覚えてしまうのだ

 ■辻元氏は現実的政治家?

 まず、辻元氏のいう「現実との格闘から逃げずに…」という言葉だが、辻元氏が、福島氏の唱える古典的で正統的な社民党の主張は空理空論だと悟ったというわけではないようだ

 現実的な政治を辻元氏が掲げるつもりなら、彼女はまず今までの自分の政治姿勢に反省があってしかるべきであるが、それはなかった

 辻元氏は会見のなかで、沖縄や憲法に対する自分の政治的な考えにいささかも変わりがないと強調していた。

 その一方で、参院選の結果にも「残念ながら(社民党は)大きく得票を減らした。これは一体なぜなのか。おそらく社民党の筋を通す行動は認めつつも、しかし政権とかかわりながらそれを実現していく道を、もっと真剣に辛抱強く探るべきだという有権者のご批判もあったかと思う」とも言っている。

権力の亡者ではないのか

 つまり、辻元氏は自分のそれまでの政治信条を枉げたわけではないのである。波乱や混乱、意見の対立などさまざまな齟齬があっても、とにかく社民党は政権にとどまるべきで、政権の中でそれを貫くべきだと聞こえるのだが、これも大いに「?」な発言である。

 主として自民党を相手にそういう権力にしがみつく亡者のような政治家たちの醜さに容赦なく批判を浴びせてきた右代表的な政治家、それが辻元氏だったように思うからだ。

 今回のご自身の行動はかつてご自身が批判してきた「権力の亡者」的で唾棄すべき行動とどこが違うのだろう。矛盾はないのだろうか。痛痒は感じないのだろうか

 与党にいなければ日本を変えることはできない、という発言も本気か、という思いだ。「野党」の政治家にも誇りがあるだろう。共産党の国会議員は彼女の発言になぜ怒らないのだろうかと不思議な気がする。与党になったら、あんなに平然と言い切ってしまえるものか。それほど簡単に捨て去れるものなのか。

 結局のところ、辻元氏の行動はせんじ詰めれば、政権与党という椅子(いす)や、あるいは選挙での勝利にこだわった彼女の打算に根ざしているのではないか。とにかく社民党では選挙に勝てない、国会議員として生き残れないから、ということではないのだろうか。

 与党といっても、もともと、社民党の政権参画は自らの手で勝利の旗を獲得したわけでも何でもない。国民の期待を集めて勝ったのはあくまで民主党だろう。社民党は民主党の勝利に乗じて、政権与党の立場が転がり込んできたに過ぎないのである。

辻元流の解釈にも一言

 社民党がなぜ大きく得票を減らしたかについても一言。国民の多くが社民党の筋を通す行動を認めたなどという辻元氏流の解釈だが、これも違うと思う。

 はっきりいえば、社民党は理想論、絵に描いたもちを現実を無視して頑なに唱えているに過ぎず、政権に参画してみたら、やはりとても見てはいられなかった、と感じた国民が多かったということではないのか

 政治は空想や願望だけでは成り立たない。民主党もひどいが、社民党には、とても日本のかじ取りを安心して任せられない、そう感じた国民が政権交代後、増えたというだけの話だ。辻元氏の言うように社民党に政権にとどまってほしかったと真摯(しんし)に願う世論がさほど強かったとは私には思えないのである

不可欠なマニフェストの清算

 さて、いよいよ参院選後初の国会が始まった。「ねじれ国会再び」である。菅首相の精彩のない表情からも、民主党政権の停滞や「この先どうなるのだろう」という不安が読み取れる。

 今まで議席の数を背景に、厚顔なまでの国会運営を許されてきた状況から一転して、何一つ自分たちで決めることができない地獄のような立場に追い込まれたのだから無理もない。来週からの民主党の国会対応、とりわけ野党対応が大いに見物である

 差し当たって民主党にお願いしたいことがある。それはマニフェストの清算である

マニフェスト不信のなかで

 昨年の衆院選で掲げたマニフェストは政権の座に着いた4年間で実現するというのが民主党の言い分だったはずだ。ならば参院選で掲げたマニフェストはどういう位置づけと考えればよかったのか。衆院マニフェストを修正したものか、それとも補完したものか。それとも差し替えたものか。これすらよくわからない。

 個別の政策ごとに二つのマニフェストの記述を比べると、明らかにトーンダウンしたものもあった。

 一方で、民主党のこの間の政権運営を見るとマニフェストでの記述を見送りながらも、政策集INDEX2009には記述があって大暴走して批判を浴びた外国人参政権のような施策もあった

 また子ども手当や高校無償化もそうだが、実現には一部こぎつけたものの、批判がくすぶったままの施策もある。財政運営は火の車で、税収はじり貧、子ども手当は満額支給を断念し、高速道路無料化も完全実施は困難という状況がささやかれ、これから「マニフェスト違反」はますます増えるのが避けられない

 さらにいうと選挙の大惨敗で、何をする(あるいはやめる)にせよ、民主党は袋だたきに遭うのが避けられない。どの政策が信任され、どの政策には信任がないと民主党は考えているのか、といった問題もさることながら、現実に、何を実現するにもかなり複雑な駆け引きや調整作業に挑まなければいけない。

 今こそ、大風呂敷の整理が必要だと思う。民主党は何をやりたいのか。できればやろうと考えているのか。あるいはどれはあきらめたのか。仕分けや清算をしてほしいのである。政治である以上、「国会が実現できない状況になってしまいましたので、もうやりません」では済まない施策もあるだろう。

 たくさん広げた大風呂敷の信用は失墜してしまっている。そして、信用失墜はこれから次々と増えるであろうという状況に置かれている。
 例えば、「国家戦略室」の格上げを断念したという報道があった。民主党内でもさまざまな批判が出ている。国益や国家観に疎さが指摘される民主党政権が描く「国家戦略」なるものが国家戦略に値するものかどうか、むしろ国家をおとしめ、ないがしろにする「国家戦略」になる恐れは十分あるのだが、そうした疑問はひとまず置いておく。

 「国家戦略室」の格上げを断念した背景には、現状の国会の議席構造では難しいということがあるらしい。それは国会運営という理屈で見れば、まったく理にかなった判断かもしれない。が、といって、首相の場当たり的な発言で方針化され決まっていい話でもない。批判が出るのも当たり前である。

民主党の致命的欠点

 民主党の抱える問題のひとつは意思決定、合意形成に向けた積み上げの議論が常に乏しいことである。寄り合い所帯ゆえ、ふだんから憲法はじめあらゆる深刻な対立を招くテーマを先送り、敬遠してきたからで、右も左も全く勝手気ままに発言し、動くことが許されている。無責任で無秩序で一致結束ということがなく、ガバナンスが利かない。深刻な問題には万事場当たり的な処理に陥ってしまう。突如、消費税が菅首相の口から語られ、批判を浴びたら引っ込める。そして選挙に敗北した後の両院議員総会は「誰が言い出したのか」と紛糾する…これも根っこは同じことである。

 民主党のためではない。あくまで国民のためだ。それもぜひ、国民に公開する形でマニフェストの清算に臨んでほしいと思う。民主党はマニフェストを「国民との約束」と掲げた。そうである以上、現状何が果たせる約束か。場当たり的な対応に任せずに、国民の前に示す責任はあるはずだと思う。

高校“義務化”で大学破綻(はたん)か

 来年度予算の概算要求も始まった。マニフェスト実現のためには予算編成でそのことを盛り込むだけでなく、関連法案を通さなければならないが、その見通しは暗い。子ども手当法案や高校無償化、それに税収の落ち込みで財政は逼迫(ひっぱく)しているからだ。

 予算編成でもいろいろな問題点を指摘しなければならない。まず、社会保障経費はなぜ、抑制の対象にしないのか、という素朴な疑問である。毎年1兆3千億円の増額を抑制の対象から外し、他の予算には一割の削減を一律に求める。地方財政もほぼ前年並みの水準というのだが、そのあおりを受けるであろう科学技術や大学予算、あるいは防衛費などはとても心配だ

 ここに国立大学協会の作成したグラフがある。6月22日に閣議決定された「財政運営戦略」の「中期財政フレーム」では23年度から3年間「基礎的財政収支対象経費」は前年度を上回らないよう方針が示された。年率8%の削減を機械的に国立大学法人運営費交付金にあてはめた場合、削減額は初年度だけで約927億円に上る。22年度までの7年間で達成した同交付金の削減額830億円を単年度で上回る法外な額であり、それは3年間続き、削減総額は累積で2564億円に達する。

 仮に927億円の削減のしわ寄せを授業料でまかなうとする。すると学生1人あたり年23万円の値上げが必要だ。研究経費を削って捻出(ねんしゅつ)する場合は、現状の32%減(約1954億円)となる。さらに特定大学の交付停止で対応した場合をまとめたのが、グラフである。

 927億円というのは大阪大学と九州大学の2大学を消滅させればちょうど捻出できる規模だ。グラフで明らかなように東京大学の交付金をなくすという選択もあるが、それだけでは927億円は捻出できない。東大をゼロにしても翌年には京都大学もゼロにせざるを得ないし3年たてば、大阪大学も東北大学も対象にせざるを得ないという削減の規模だ。

お茶大も東京外大も一橋もピンチ

 逆に交付金の額の少ない大学から削っていこう。グラフの濃青(愛知教育大~小樽商科大)の27大学が交付金ゼロ。このなかにはお茶の水女子大学も東京外大も含まれている。水色の部分が二年目の削減対象校14大学でこのなかには一橋大学も含まれ、3年間で50大学以上の交付金がゼロになる。

 ちなみに川端達夫文科大臣の地元、滋賀県には二つの国立大学があるが、初年度に滋賀大学をつぶし、次の年には滋賀医科大学をなくせば、政府の方針は達成できるのだが、滋賀県からは国立大学がなくなるかもしれない。輿石東氏の地元、山梨県からも国立大学はなくなるかもしれない。

 念のため付記すれば、交付金をゼロにする大学名がすでに決まったわけではない。これはあくまで政府の方針を達成するための試算であって削減方法も多様なはずである。

 ただし、削減率はこの試算では8%と設定されていたが、現実に政府が課している削減率は10%である。交付金を削って政府の目標を達成するという選択を実行すれば、半端な影響では済まないことは読み取れる。

 交付金がゼロでも、直ちにすべての大学が即つぶれるという話でもないことも付け加えておく。病院収入など別の収入源があれば、それで負担を軽減することもある程度は可能だ。だが、教員養成系大学のように、ほぼ収入源を授業料と交付金に限っている大学も多い。仮に教員養成大学がつぶれれば、地域の教育など大きな波及があるのも見逃せない

 知の基盤の崩壊といっても、ピンと来ない人も多いかもしれないが要は社会への人材輩出源だった大学がそうではなくなるかもしれないという話だ。高校は事実上、義務化されたが、そのあおりで大学進学は高根の花となるかもしれない

 民主党が意図的にそういう政策を掲げてこうなったという話ならば、まだわかる。大学については「くだらん大学が多すぎる」といった批判が多いのも事実だからだ。だが、きちんとした議論もないままに財政上の逼迫を招いた結果、大学が破綻していくのは失策であって、正当化される話ではないことはいうまではない。(安藤慶太・社会部専門職)
 ↑ここまで

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