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August 18, 2010

「日本の『武士道精神』は誇張だ」と書く非礼な中央日報

 中央日報のページに、「「日本の『武士道精神』は誇張だ」というコラムがある。見出しだけ読んでも日本に対して失礼であり、非常に腹立たしい。日本が明治時代になり近代化しても武士道精神により、世界で一番国際法を遵守する規律正しい軍隊になったことは事実である。

 例えば日露戦争の乃木稀輔を見よ。ステッセルとの会見では、たとえ敗者であっても敬意をもって遇したではないか。また、北清事変における日本軍の活躍と規律正しさは先進諸国を驚かせ、その結果として日英同盟が締結されている。何が「誇張」か。記者の思い込みだけで記事を書くな、と言いたい。

 朝鮮併合でも大東亜戦争でも日本ほど国際法に厳格に従った国はなかった。そうしなければ先進諸国の「干渉」(反感)を招くからである。

 記者は、武士道精神があるなら、10日の菅談話を認めて謝罪しろと言いたいようだが、たとえ武士道精神でも何であっても、日本人なら韓国人により捏造された歴史を受け入れる事が出来ないのは自明である。武士道精神とは無関係なのだが、この記事で無理矢理結び付け、日本を貶めているだけだ。

 そもそも、韓国併合まで、韓国は古代社会から進歩せず、封建制度も生まれなかった。日本とヨーロッパでのみ発生したのだ。もちろん新渡戸稲造の武士道が、ヨーロッパの騎士道を真似たものではない。

 韓国が李氏朝鮮の後進性と、日本統治により韓国が近代化したという事実を認めない限り、真の日韓友好などあり得ない。もちろん竹島返却も。

 それはそうと、韓国人は、「武士道は韓国起源」といっていたのではなかったか。日本の侍を真似て「サウラビ」という出鱈目な歴史映画を作ったのは韓国人である。一方で日本の武士道は歴史的事実ではない、ハッタリだと明言し、他方で武士道は韓国起源だという。もう滅茶苦茶である。この記事を書いた記者には、そのような自覚は全く無いようだ。レベル低すぎ。

 トンデモ記事を引用する。

 ↓ここから
 1957年の映画「The Bridge on the River Kwai」にはこういうセリフが出てくる。「お前らのような奴に武士道のことが分かるか!」。日本軍捕虜収容所長の斎藤大佐が英国軍捕虜に吐いた言葉だ。

作業を拒否する英国軍将校を射殺しようとする場面ではこういう言葉も出てくる。「非武装の人間を殺害するのが日本軍の行動規律(武士道)ですか?」。捕虜になった米国軍医官の抗議だ。 この言葉に斎藤はびくっとする。 映画の終始、斎藤は武士道で武装した日本軍人として描写される。

斎藤が見せようとした武士道は侍、すなわち武士階級の規律であり倫理だ。 忠義、礼節、勇気、名誉、信義、倹約を重視する。 日本人の自負心が凝縮された精神世界に拡大解釈されたりもする。 日本人特有の美学として包装する人もいる。

しかし深入りはしないでおこう。 それを本当だと信じれば純粋だ。 武士道は歴史的事実を根拠とする実体ではない。 神話や象徴操作に近い。 ひどく言えば‘はったり’ともいえる

武士道を初めて体系化したのは日本の農学者であり教育者の新渡戸稲造(1862-1933)だ。 米国とドイツで修学し、米国人女性と結婚し、国際連盟事務次長を務めた日本近代の国際的知識人だ。 熱心なキリスト教信者でもあった。 数年前まで新渡戸の肖像は5000円紙幣に使われていた。 新渡戸が1899年に米国で英語で出版した本が『BUSHIDO:The Soul of Japan』だ。

序文には執筆の動機が簡単に出てくる。 新渡戸は「宗教教育をしない日本では道徳をどう教えるのか」というベルギー人学者の質問に対し、返答に窮したことがあった。 つくづく考えた結果、新渡戸は日本の武士道精神こそが日本人の道徳規範だという結論に達した。 日本にもしっかりとした道徳・倫理体系がある、西洋に騎士道があるように日本には武士道がある…。 新渡戸はこうしたメッセージを伝えようという強い思いを抱いて本を書いた。

 もっともらしく見えるが、実は西洋の騎士道や「ノブレスオブリージュ」を参考に、幼い頃に少し聞いた儒教的徳性や侍伝説を混ぜ合わせて作ったものだった。 新渡戸の想像力の産物だったということだ。 武士道というものが本当に日本の伝統として受け継がれてきたとすれば、何故よりによって侍の時代が終わった後に、しかも西洋の空気を吸った青年の手で、米国で英語で先に書かれたのか。

ところがこの本が出ると、米国はもちろん欧州でもベストセラーになった。 日本人はみんな武士道に基づいて行動するものと錯覚する西洋人も多かった。 西洋で有名になると、すぐに日本語にも翻訳された。 武士道が日本に逆輸入されたのがまさにこの時だった。 その後、武士道は日本人の意識の中に自分たち固有の道徳規範や美徳として刻印された。 ちょうど吹き荒れていた軍国主義の風も集団催眠を手伝った。 これは日本でも知る人はみんな知っている。 敢えて持ち出して話さないだけだ。

今でも武士道は日本人の意識で重要な比重を占める。 特に保守層が重視する。 国格を高めよう、国民意識を高揚させようという議論で必ず出てくるのが武士道の涵養だ。 屈折した自我陶酔だ。 自衛隊を海外に派遣する時、防衛庁の幹部が「武士道の国の気概を見せよう」と訓示したこともあった。 コメディーだ。

新渡戸は自分の本で「勇猛果敢なフェアプレー精神」として「義」を武士道の基本と考えた。 しかし武士道を崇敬していた日本軍国主義の蛮行を見れば、武士道が虚構だったことがよく表れている。 今の保守右翼も同じだ。 侵略戦争に対する反省と謝罪を惜しむ人たちのどこに武士道の風貌を見ることができるのか。 元々なかっただけに見えないのだ。

日本の保守右翼は菅直人首相が韓日強制併合100年を迎えて発表した談話に反発しているという。 私たちには今でも惜しまれる内容であるにもかかわらずだ。 彼らは侵略戦争に対する反省を「自虐的歴史観」と罵倒する。 武士道を崇める保守勢力であるほど過去の過ちを認めない。 侵略を反省するより敗戦を反省する。 これだから武士の体臭を感じるどころか、無責任で卑怯でずるく見えるのだ。 武士道を(言葉でのみ)崇める日本の保守右翼たちよ、新渡戸の本はいっそのこと破り捨ててしまえ
 ↑ここまで

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