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« 千葉法相、きょう菅内閣初の民間大臣に 民意に背を向け続投中 | Main | NHKは「受信料の一部」を返却せよ! »

July 26, 2010

NHKに電凸拒否され抗議文を郵送することに

 Blog「正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現」さんに、「NHKに電凸拒否され抗議文を郵送することに・7月25日放送 【NHKスペシャルプロジェクトJAPANシリーズ「日本と朝鮮半島」第4回 解放と分断 在日コリアンの戦後】・在日朝鮮人の密航や朝鮮進駐軍等悪逆暴虐を隠蔽し、違法行為を正当化」という投稿がある。

 NHKは開き直ったのか、偏向や捏造した歴史番組を堂々と放送するようになった。それと呼応するように、受信料不払いに対して法的手段に訴えるようになった。余りにも独善的過ぎないか。

 NHKの受信料の根拠は放送法に拠る。ところが放送法では、偏向した放送を禁じている。NHKは放送法に違反する番組を平気で放送しながら、放送法を根拠に受信料を取り立てているのだ。自己矛盾もいいとこだ。

 NHKはもはや日本の公共放送とはいえない。NHKは「日本反日協会」の略ではないか。

 参考: 藤井厳喜「NHK捏造事件と無制限戦争の時代」(総和社)

 投稿を引用させていただく。

 ↓ここから
7月25日(日)午後9時00分~9時54分放送 【NHKスペシャル プロジェクトJAPANシリーズ「日本と朝鮮半島」第4回 解放と分断 在日コリアンの戦後】を見た。

前回の【第3回 戦争に動員された人々~皇民化政策の時代~】と同じように、すぐに夜10時まで受付のNHK(0570-066-066)に電凸した!

ところが、今回は男が出て殆ど私の話を聞こうとせず、すぐに「お客様の仰ることは電話ではなく、書面で送って頂いた方が良いです。」と言ってきた。

私が、「書面も送るが、まずは電話で言っておきたいから伝えてくれ。」と何回言っても、「手紙を送って頂いた方が良いです。番組担当者からも、そのように指示されています。」と言って碌に話を聞いてくれなかった。

10分以上も電話で待たせておいた(その間電話料金がかかった)にもかかわらずだ。

しょうがないので、すぐに抗議文を書いて郵送することにした。

〒150-8001
NHK放送センター
NHKスペシャル 「シリーズ 日本と朝鮮半島」係
━━━━━━━━━━━
拝啓

7月25日(日) 【NHKスペシャル プロジェクトJAPANシリーズ「日本と朝鮮半島」第4回 解放と分断 在日コリアンの戦後】を拝見しました。

在日朝鮮人の密航(不法入国)や戦後「朝鮮進駐軍」と称して殺人や強姦や略奪をしまくった真実を隠ぺいし、あたかも在日朝鮮人が被害者であるよう偏向番組に憤りを感じました

「在日コリアンの戦後」をテーマにしている以上は、彼らの大半が日本に密航(不法入国)して来て、戦後日本政府が彼らを朝鮮半島に帰そうとしても帰らなかった事実を放送しないのは重大な手落ちです

更に、朝鮮半島に帰そうとしても帰らない在日朝鮮人どもが「朝鮮進駐軍」と称して日本人に対して婦女暴行、略奪、警察署の襲撃、土地・建物の不法占拠など悪逆非道の限りを尽くしたことは在日朝鮮人の戦後を語る上で必要不可欠な事実です

在日朝鮮人の大半が密航(不法入国)して日本に来たこと、戦後在日朝鮮人が悪逆非道の限りを尽くしたこと、これらを隠ぺいしたことについてNHKは放送で謝罪するべきです

放送した内容についても、おかしな部分がありましたので指摘します。

まず、番組では何故か最初に「カイロ宣言」について言及しました。
ナレーションで、「朝鮮の人々が置かれている奴隷状態に留意し、朝鮮が自由で独立した国になるよう~」と述べたのです。
しかし、この戦中に敵国首脳によって作成されたカイロ宣言にある「朝鮮の人々が置かれている奴隷状態」は、事実に反しますし、今回の番組の趣旨に全く関係のないことでした
帝国議会の議員となった朝鮮人も居ましたし、陸軍中将となった朝鮮人も居たのですから、朝鮮人が奴隷だったわけがありません。
実際にその直後、ナレーションで、在日朝鮮人が日本から出る際には財産の持ち出し制限があったために、在日朝鮮人は朝鮮半島に帰らなかったと言っていました。
日本によって朝鮮人が奴隷状態にされていたなら、朝鮮人がわざわざその日本に密航して来るわけがないですし、ましてや財産の持ち出しを制限されるほど財産を築けるわけがありません
番組冒頭の「カイロ宣言」から、在日朝鮮人が朝鮮半島に帰らない理由の説明までは、全く意味不明な番組進行となっていました。
カイロ宣言にあった「朝鮮の人々が置かれている奴隷状態」というのは、事実に反する上に番組の趣旨とも関係ないのにわざわざ最初に取り上げることの意味は何だったんですか?
日本を悪者にするという悪質な印象操作以外の何ものでもないと感じました。

次に、ナレーションで、「敗戦をむかえた日本。植民地時代に海を渡って来た200万人を超える朝鮮人が居ました。彼らの多くは、祖国独立の希望を胸に、下関や九州各地の港に押し寄せました。」と言ったことについてです。
祖国独立を希望していた朝鮮人たちは、どうして下関や九州各地の港に押し寄せたのでしょうか?
ナレーションで言っていることが支離滅裂で意味不明です。

次に、ナレーションで、「帰国の時を待ちながら暮らし始めた人々、彼らは日本に留まらざるをない様々な事情を抱えていました。当時帰国に当たっては財産の持ち出し制限がありました。それはそれまで日本で築いた生活の基盤を失うことでした。さらに帰国しても植民地時代に頼るべき親族が離散していたりして、戻ることを余儀なくされました。」と言ったことについてです。
日本に来た朝鮮人の大半は、日本の渡航制限に違反して密航(不法入国)して来ていました。
これは、当時多くの密航鮮人が逮捕されて強制送還されていた記録や、吉田茂がマッカーサーに宛てた「在日朝鮮人に対する措置」文書(1949年)などから明らかです。
ですから、密航鮮人どものことを「帰国の時を待ちながら暮らし始めた人々」などと表現するのはおかしいです

朝鮮に帰国したければ最初から日本に密航(不法入国)などしません。
それと、前述のとおり、日本で国会議員になった朝鮮人や日本軍で将校となった朝鮮人が多数居た上に、このナレーションにおいて朝鮮人が日本で財産を築いていたと述べているのですから、番組冒頭で「朝鮮の人々が置かれている奴隷状態」などという事実無根のナレーションを挿入したのは、悪質な印象操作です。
これについても、NHKは放送で訂正と謝罪を行うべきです。
それと、「帰国しても植民地時代に頼るべき親族が離散していたりして、戻ることを余儀なくされました。」と言いますが、朝鮮に帰えって頼るべき親族が居なくて生活できないなら、日本に戻っても同じように生活できないはずです。
もしも日本に頼るべき親族が居たなら、その親族らと一緒に朝鮮に帰れば良いのです。

ですから、在日朝鮮人が朝鮮に帰国しても頼るべき親族が離散していたことは、日本にまた戻ることを余儀なくされた理由になりません。

次に、ナレーションで、「朝連は(日本で)自分たちの言葉を取り戻し、植民地時代の皇民化教育を拭い去ることが真の解放に繋がると考えました。教室を整備し、全国に500を超える学校を作って行きます。」と言ったことについてです。
日本で朝鮮語教育をすることよりも、朝鮮に帰ることこそが真の解放のはずです
そういう当たり前のことについて番組で全く言及しないのはおかしいです。
ナレーションで、「朝鮮に帰ることが真の解放であるはずなのに、~」と一言付け加えるべきでした。

次に、当時教科書を編纂した朝連東京本部文教部長の李殷直が、「戦前、あまりにも日本の学校でいじめられたもんだから、戦争中から学校に行かなくなってた。」と言ったことについてです。
戦前にいじめられたなら、なぜ朝鮮に帰らなかったのでしょうか?
密航(不法入国)して来て居座っていたくせに、戦前にいじめられても戦後になっても帰らず文句を言うのはおかしいです。
続いて李殷直は、「戦後になると、朝連の土地が出来ると、そこに朝鮮人の子供たちが集まって遊ぶ。そこで子供たちのために学校を建てるのが朝連の仕事だった。」とも言っていましたが、日本国内で勝手に学校を建てる不法行為について、NHKが何の非難もしないのはおかしいです

その後、文教部長だった李殷直は再度登場し、「マッカーサーは不思議だ。日本の学校に行けばいいじゃないかという。いくら説明しても分からない。」などと言っていましたが、それほど日本で日本語教育を受けるのが嫌なら、朝鮮に帰れば良いだけですので、不思議なのはマッカーサーではなく、日本に居座り違法な朝鮮語教育をしていた朝鮮人どもの方です。

次に、ナレーションが、「通達に従わない学校に対しては閉鎖の強制執行。朝鮮学校の子供たちがマッカーサー宛てに出した学校存続を求める嘆願書です。在日コリアンの強い抵抗は、植民地統治の実態について十分な知識のないGHQにとって予想を遥かに上回るものでした。」と言ったことについてです。
「植民地統治の実態について十分な知識のないGHQ」というのはNHKによる勝手な決め付けです。
この「植民地統治の実態について十分な知識のないGHQ」というナレーションには何の根拠もないはずであり、NHKの偏見をナレーションに盛り込むのは不適切です
そもそも、在日朝鮮人が違法学校の存続を強く求めたことと、植民地統治の実態とは、何の関係もありません。
NHKは、放送で訂正と謝罪をして下さい。

次に、1948年4月24日に神戸で起こった「阪神教育事件」(阪神教育闘争)で知事室に入って家具や壁などの破壊活動に参加していた梁相鎮(ヤンサンジン)が、「朝鮮語教育をやめ言うのは、またまた日本語教育され、植民地にされる」と言ったことについてです。
どうして戦後の日本において朝鮮語教育をやめろと言うと、朝鮮がまた植民地にされると考えるのか、全く意味不明です。
それほど朝鮮語教育がしたければ、朝鮮に帰れば良いだけのことです。

最後に、ナレーションで、「東大阪朝鮮初級学校です。閉鎖後も夜間学級などで民族教育の火をつなぎ、1952年に再建、各種学校として、現在に至っています。この日、全校生徒を集め、劇が上演されました。植民地の時代につづく戦後占領期の7年間、今に至る在日コリアンの法的地位が決りました。民族の記憶を受けつぎ、日本という社会で生きて行こうとする思いは親から子へ、子から孫へと受け継がれています。」と言った部分についてです。
公共放送のNHKが、朝鮮に帰れば良いのに日本に居座り、勝手に学校を建てて違法な朝鮮語教育を行っていた在日朝鮮人どもの行為を褒め称えるようなナレーションを放送したことは不適切です
NHKは、謝罪と訂正の放送をして下さい。

〒1●●-0●●● 東京都●●区●●7-●-●
 ●●●●
━━━━━━━━━━━

●関連記事

在日全員が自由意思(密航が大半)で日本に居住
在日朝鮮人、戦時徴用はわずか245人
1959年7月11日付外務省の資料が改めて提供
1959年7月13日付朝日新聞と2010年3月11日付産経新聞で報道
3月1日放送テレビ朝日「たけしのTVタックル」でも
動揺する韓国
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3775.html

(一部抜粋)

〓〓 まとめ 〓〓

●日韓併合以降、200万人以上の朝鮮人が自由意思で日本へ渡航した
 ※「日帝の差別や虐待のせいで朝鮮に住めなくなった」というのであれば、日本に来るのはおかしい

●戦時徴用は、日本人(内地人)や台湾人には1939年から終戦までの6年間適用したのに対し、朝鮮人には1944年9月から1945年3月までのたった7ヶ月間しか適用しなかった。

●戦時徴用で日本に渡航したのは約22万人
 ※そもそも徴用は国民の義務であり、当時は「強制連行」や「強制徴用」とは言わず、「強制連行」「強制徴用」などと言い始めたのは戦後何十年も経ってからだ。

●戦後、GHQの命令で朝鮮人の帰還事業が日本政府の支出で行なわれた。
 ※つまり、朝鮮に帰りたい人はアゴアシ付きで帰国出来た。

●その結果、日本に残った朝鮮人は210万人中60万人だった。

●その日本に残った60万人のうち、戦時徴用で来日した数は245人のみだった。
 ※彼らは自分の意志で日本に残った。
 ※また、GHQの命令による帰還事業が終わった後も、彼らの自由意思による帰国を日本政府は禁止していない。
 ※更に、1959年~1984年には北朝鮮への「帰国事業」も行われ、朝鮮総連が在日朝鮮人に対して「地上の楽園」への帰国を盛んに奨めたが、それでも大半の在日朝鮮人は頑なに日本に残った。

    1945年当時日本に居た朝鮮人  1959年当時日本に残っていた朝鮮人
全体       210万人            61万人
徴用        22万人          たった245人

060308


【その他の参考資料】

■動画
三代目襲名(1/4)
田岡一雄自伝
http://www.youtube.com/watch?v=yirYWYqxGBk

●子供の目前で母親を強姦して喜ぶ朝鮮人たち (終戦直後のエピソード)

通りすがりの通行人の目つきが気に食わないといっては難くせをつけ、無銭飲食をし、白昼の路上で集団で婦女子にいたずらをする。
善良な市民は恐怖のどん底に叩き込まれた。
こういった不良分子は旧陸海軍の飛行服を好んで身につけていた。
袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを首に巻きつけ、肩で風を切って町をのし歩いた。
腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた鉄パイプの凶器を引っさげた彼らの略奪、暴行には目にあまるものがあった。 警官が駆けつけてきても手も足も出ない。

「俺たちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人が何をいうか」

警官は小突き回され、サーベルはヘシ曲げられ、街は暴漢の跳梁に無警察状態だ。
(中略)
一瞬、ぎくりと立ちどまり、悲鳴のあがる方角に走った。
途中で四、五歳の女の子が泣きながら夢中で駆け寄ってきた。
「どないしたんや」「おかあちゃんが、おかあちゃんが」
少女は私に泣きじゃくりながらしがみつく。
この世のものとは思えぬ女の狂気じみた悲鳴がきこえつづけていた。
「ここにいるんやで。ええな」私は少女をその場において一目散に走った。

少女の母親は木立の中で数人の男に犯されていた。飛行服(朝鮮人)の男たちだった。

「田岡一雄自伝」より
(田岡一雄は、三代目山口組組長)


●朝鮮進駐軍

概要
一般に朝鮮進駐軍と言ったときは、おおむね1945年昭和20年以後に現在特別永住権を持つ在日一世(朝鮮人・韓国人)、もしくは現在日本に帰化または半島に帰国した朝鮮民族によって作られた犯罪組織を指す。 戦後、日本がポツ
ダム宣言を受け入れると日本各地で、婦女暴行、窃盗、暴行、殺人、略奪、警察署の襲撃、公的機関への襲撃、土地建物の不法占拠、鉄道や飲食店での不法行為等様ざまな朝鮮人による犯罪が多発した。 自称「戦勝国民」(正
しくは戦勝国民ではない)であると主張し、自らを「朝鮮進駐軍」と名乗り各地で徒党組んで暴れ事件を起こした。GHQの資料にあるだけでも最低4000人の日本人市民が朝鮮進駐軍の犠牲となり殺害されたとされている。

朝鮮進駐軍による朝鮮人犯罪及びテロ行為について
服装・武器及び組織について
戦後の混乱を利用し、日本刀等の刃物・鈍器以外に多くの銃火器を使用した。銃は三八式歩兵銃や機関銃など盗んだ旧日本軍の武器で武装し組織化を行った。朝鮮進駐軍では旧日本陸軍のパイロットの軍服を好んで着用したが、これは日本兵に対するあてつけとも、日本人(皇民)に対するあてつけとも言わた。 組織ではいくつかの本部設けたが、実際は各地域ごと
に部隊名をつけその部隊が、個別に日本人を狙った犯罪行為を繰り返しすことが多かった。 朝鮮進駐軍総本部(在日朝鮮人連盟総本部)はのちの在日本朝鮮人連盟。更に
これが在日本大韓民国民団(略称「民団」)と在日本朝鮮人総聯合会に分かれ、これが現在の民団と朝鮮総連となる。

時代背景
当時の日本では戦場に男手が駆り出され極度の男手不足に陥っており、また都市部においても疎開や空爆による被害で人手が足りない状況が長く続いていた。 また警察組織においても、武器の使用が認め
られないなど戦後特有の制限があり。戦後朝鮮人犯罪が増加の一途をとどった背景には、このような犯罪に対する抑止力の空白化が背景にあったとされている。いまでは考えられないことではあるが、当時はヤクザ(現在の指定暴力団)が朝鮮人から、日本人の生活を守る役割を一部果たしていた。 この当時は朝鮮人の殆どが実名で暮らしており、通名を使用
しだすのは朝鮮の姓に対して嫌悪感や犯罪者といったイメージを日本人が抱くようになってからである。ただしこれは、朝鮮人側からはもともと差別があったからとされている。

朝鮮人による犯罪
朝鮮進駐軍による犯罪は全国に及んだ。特に川崎・大阪・神戸・都心等当時朝鮮人が比較的多かった地域で多発した。特に東京では、原宿等を中心に三八式歩兵銃や拳銃・日本刀等で武装した朝鮮人によって占拠されており、のちに警察やGHQにより鎮圧された。
市民を狙ったものとして白昼に堂々と集団で婦女子に暴行を加えるなど、多数の犯罪行為を行った。拳銃や刃物で武装しており一般市民は無力であり繰り返し行われることも多かったため被害が拡大した。またGHQの調べでは少なくとも4000人の日本人市民が殺害されており、多い説では1万人以上であったとも言われている。
略奪・窃盗・密売・土地の強奪等においても組織的に関与していた。一般の露天商からの強奪や農作物・家畜の強奪(利根川水系の牛の強奪などが有名)等、さまざまな方法で集められた商品が朝鮮人によって売買され、その後の朝鮮人社会の資金源として利用されてきた。その他に、戦後土地建物の所有に関する書類の損失や強引な立ち退きにより土地・建物の収奪も相次いだ。
1945年12月翌1月におきた生田警察署襲撃事件では武装した朝鮮人50人が襲撃し警察署を占拠。翌46年には長崎県警察本部で、在日朝鮮人連盟と名乗る総勢約200名が同署を襲撃して破壊活動を行い、10名に重軽傷を負わせうち1名は死亡にいたらしめた。46年には国会議事堂前でも集まった2000人の朝鮮人と応援出動した武装警官358名・進駐軍憲兵20名とが銃撃戦に発展。首謀者は軍事裁判に付され、翌年3月8日に国外追放処分になった。1948年4月には阪神教育事件では数千人の朝鮮人によって庁舎が占拠された。これに対して3000名の警官隊を動員して、朝鮮人を庁舎から強制排除し1800名の朝鮮人が検挙された。戦後はこのような事件が日本各地で続発した。
第八軍司令官ロバート・アイケルバーガー中将は、正規の大部隊を治安確保のため朝鮮人に対して街中に簡易陣地を引くなどして配備した。GHQダグラス・マッカーサー最高司令官は「朝鮮人等は戦勝国民に非ず、第三国人なり」と発表するなど朝鮮人に対する取り締まりにおわれた。 昭和26年に浅草で朝鮮進駐軍と思われる朝鮮人が起こした集団暴力
事件では、米兵一名が死亡、二名が負傷した。

主な事件一覧
朝鮮進駐軍及びその後の在日本朝鮮人連盟が関わる事件の一覧である
大阿仁村事件(1945年10月22日)
生田警察署襲撃事件(1945年12月24日、1946年1月9日)
直江津駅リンチ殺人事件(1945年12月29日)
富坂警察署襲撃事件(1946年1月3日)
長崎警察署襲撃事件(1946年5月13日)
富山駅前派出所襲撃事件(1946年8月5日)
坂町事件(1946年9月22日)
新潟日報社襲撃事件(1946年9月26日~29日)
首相官邸デモ事件(1946年12月20日)
尾花沢派出所襲撃事件(1947年10月20日)
阪神教育事件(1948年4月23日~25日)
評定河原事件(1948年10月11日~12日)
宇部事件(1948年12月9日)
益田事件(1949年1月25日)
枝川事件(1949年4月6~13日)
高田ドブロク事件(1949年4月7日~11日)
本郷村事件(1949年6月2日~11日)
下関事件(1949年8月20日)
台東会館事件(1950年3月20日)
連島町事件(1950年8月15日)
第二神戸事件(1950年11月20~27日)
四日市事件(1951年1月23日)
王子事件(1951年3月7日)
神奈川事件(1951年6月13日)
下里村役場事件(1951年10月22日)
福岡事件(1951年11月21日)
東成警察署催涙ガス投擲事件(1951年12月1日)
半田一宮事件(1951年12月3日~11日)
軍需品製造工場襲撃事件(1951年12月16日)
日野事件(1951年12月18日)
木造地区警察署襲撃事件(1952年2月21日~23日)
姫路事件(1952年2月28日)
八坂神社事件(1952年3月1日)
宇治事件(1952年3月13日)
多奈川町事件(1952年3月26日~30日)
田川事件(1952年4月19日)
岡山事件(1952年4月24日~5月30日)
血のメーデー事件(1952年5月1日)
上郡事件(1952年5月8日)
大村収容所脱走企図事件(1952年5月12日~25日、11月9日~12日)
広島地裁事件(1952年5月13日)
高田派出所襲撃事件(1952年5月26日)
奈良警察官宅襲撃事件(1952年5月31日)
万来町事件(1952年5月31日~6月5日)
島津三条工場事件(1952年6月10日)
醒ヶ井村事件(1952年6月13日)
葺合*長田事件(1952年6月24日)
吹田*枚方事件(1952年6月24日~25日)
新宿駅事件(1952年6月25日)
大須事件(1952年7月7日)
舞鶴事件(1952年7月8日)
五所川原税務署襲撃事件(1952年11月19日~26日)

参考文献
法務研修所編『大須騒擾事件について』1954年
横幕胤行、富久公、船越信勝『吹田・枚方事件について』1954年
篠崎平治『在日朝鮮人運動』1955年
大阪市行政局編『大阪市警察誌』1956年
新潟県警察史編さん委員会編『新潟県警察史』1959年
名古屋市総務局調査課編『名古屋市警察史』1960年
瓜生俊教編『富山県警察史 下巻』1960年
山形県警察史編さん委員会編『山形県警察史 下巻』1971年
宮城県警察史編さん委員会編『宮城県警察史 第2巻』1972年
大阪府警察史編集委員会編『大阪府警察史 第3巻』1973年
警視庁富坂警察署編『富坂警察署100年史―新庁舎落成記念―』1975年
兵庫県警察史編さん委員会編『兵庫県警察史 昭和編』1975年
愛知県警察史編集委員会編『愛知県警察史 第3巻』1975年
青森県警察史編纂委員会編『青森県警察史 下巻』1977年
坪井豊吉『在日同胞の動き』1977年
警視庁史編さん委員会編『警視庁史〔第4〕』1978年
思想の科学研究会編『共同研究 日本占領研究事典』1978年
仙台市警察史編纂委員会編『仙台市警察史―仙台市における自治体警察の記録―』1978年
長崎県警察史編集委員会編『長崎県警察史 下巻』1979年
李瑜煥『日本の中の三十八度線―民団・朝総連の歴史と現実―』1980年
福岡県警察史編さん委員会編『福岡県警察史 昭和前編』1980年
山口県警察史編さん委員会編『山口県警察史 下巻』1980年
警察文化協会編『戦後事件史』1982年
日本国有鉄道公安本部編『鉄道公安の軌跡』1987年
講談社編『昭和・二万日の全記録 第9巻』1989年
朴慶植『解放後 在日朝鮮人運動史』1989年
百瀬孝『事典・昭和戦前期の日本 制度と実態』1990年
金慶海、堀内稔編『在日朝鮮人・生活擁護の闘い』1991年
荒敬『日本占領研究序説』1994年
百瀬孝『事典・昭和戦後期の日本 占領と改革』1995年
竹前栄治、中村隆英監修『GHQ日本占領史 第16巻 外国人の取り扱い』1996年
『秋田魁新報』1945年
『神奈川新聞』1951年
『西日本新聞』1951年
『中部日本新聞』1951年、1952年
『大阪新聞』1952年
『京都新聞』1952年
『神戸新聞』1952年
『山陽新聞』1952年
『中国新聞』1952年
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