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July 06, 2010

48人生活保護申請の姉妹が心境を語った

 Blog「正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現」さんに、「48人生活保護申請の姉妹が心境を語った・『入国目的を疑われるのはつらい』『日本はいい国だと聞かされ、ずっと移住したいと思っていた』・出生届が出されていなかった日本人の母親・70代姉妹は残留孤児ですらなかった・入国許可の証言に食い違い」という投稿がある。

 70代姉妹なら日本に移住しても仕事などできないのは、初めからわかっているではないか。しかもこの姉妹、残留孤児でもないのに入国許可を出すのがおかしい。

 投稿を引用させていただく。

 ↓ここから
支那人大量生活保護申請…48人呼んだ姉妹の心境は

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100705-00000701-yom-soci

中国人大量保護申請…48人呼んだ姉妹の心境は
7月5日15時19分配信 読売新聞

 日本人姉妹の親族として5~6月に来日した中国人48人が入国直後に大阪市に生活保護を申請した問題で、姉の林愛英さん(79)と妹の珠英さん(78)=ともに同市西区在住=が4日、読売新聞社の取材に通訳を通じて応じ、「私たちには日本人の血が流れている。中国でつらい時代を生き抜いて、やっと来日が認められたのに、入国目的を疑われるのはつらい」と心境を語った。

 姉妹によると、母親は福岡出身の日本人。1926年、中国人の夫と中国・福建省に渡り、愛英さんら10人の子どもをもうけた。干し芋で食べつなぐ貧しい生活。戦後は日本敵視の風潮が強まり、一家は迫害を受けた。父親は激しい暴行を受けて衰弱し、死亡。愛英さんは「私も息子たちも『日本人は出て行け』と、よくいじめを受けた。こん棒で殴られ血まみれになったことも」と振り返る。そんな時、母親は「日本人はみんな親切。いつか一緒に日本に帰ろう」と繰り返していたという。

 日中国交正常化(72年)後に、中国残留邦人に帰国の道が開かれ、母親も97年、約70年ぶりに帰国。しかし、出生届が出されていなかったため、日本国籍を取得できないまま、母親は1年後に日本で病死。姉妹は電話で悲報を知らされた。

 中国帰国者を支援してきた空野佳弘弁護士(大阪)が代理人となり、2008年11月、DNA鑑定で日本人との血縁関係がようやく証明され、姉妹は日本国籍を取得。姉妹と兄、その子ども計10人の家族合計56人の入国も認められ、期限の6月までに次々と来日した。先に入国した家族が外国人登録した際、区役所の窓口で生活保護制度を知り、後に来た家族とともに申請手続きをしたという。

 「息子たちの仕事が見つかれば、申請は取り下げるつもりだった」と姉妹。先月末に自転車組み立て工場などに息子ら3人の就職が決まったが、大阪市から入国目的を問題視された影響で、すべて断られたという。

 愛英さんは「日本はいい国だと聞かされ、ずっと移住したいと思っていた。やっと家族で平穏に暮らせると思ったのに」と涙ぐんだ。

>「…やっと来日が認められたのに、入国目的を疑われるのはつらい」


入国目的を疑ってなんかいない。

カネ(日本の生活保護)目的で来日したのだと確信している。

それ程つらいなら、早く支那に帰れ!
(・∀・)カエレ!


>姉妹によると、母親は福岡出身の日本人。1926年、中国人の夫と中国・福建省に渡り、愛英さんら10人の子どもをもうけた。


(゜Д゜)ハァ?
これでは、いわゆる「中国残留邦人」ですらない。

厚生労働省

中国残留邦人等への援護

中国残留邦人とは
昭和20年当時、中国の東北地方(旧満州地区)には、開拓団など多くの日本人が居住していましたが、同年8月9日のソ連軍の対日参戦により、戦闘に巻き込まれたり、避難中の飢餓疾病等により多くの方が犠牲となりました。このような中、肉親と離別して孤児となり中国の養父母に育てられたり、やむなく中国に残ることとなった方々を「中国残留邦人」といいます。

上の厚生労働省の定義(説明)をもっと正確に言い換えると次のようになる。
━━━━━━━━
1945年当時、満州国には多くの日本人が居住していた。
大東亜戦争末期の1945年8月、ソ連軍侵攻により、強姦されたり、虐殺されたり、戦闘に巻き込まれたり、避難中の飢餓疾病等により多くの日本人が犠牲となった。
この混乱の中、肉親と離別して孤児となり日本(内地)に帰ることが出来ず満州国などへの残留を余儀なくされ満州国の養父母に育てられたりした日本人のこと。
━━━━━━━━


したがって、日本の法律やマスコミなどが使用している「中国在留邦人」「中国残留孤児」などの呼称も、実際には支那ではなく満州国だったのだから「満州国残留邦人」「満州国残留孤児」などの呼称に改めるべきだ。

いずれにせよ、今回の姉妹の母親は、1926年の平時に支那人の夫と支那・福建省に渡り、姉妹ら10人の子どもをもうけて、戦中も戦後もずっとそのまま支那で生活を続けていたのだから、「残留邦人」ではない。


>日中国交正常化(72年)後に、中国残留邦人に帰国の道が開かれ、母親も97年、約70年ぶりに帰国。しかし、出生届が出されていなかったため、日本国籍を取得できないまま、母親は1年後に日本で病死。


(・・。)ん?
福岡出身の母親の出生届が出されていなかったって?

20世紀には日本の戸籍制度は完成していたし、届出漏れなんて考えられない。

また、この母親は「1926年に支那人の夫と支那・福建省に渡った」とあり、支那に渡る前に日本で結婚していたようなのに、結婚の際にも役場に婚姻届出などをせず、出国する際にも役場で何の手続きもしなかったのか?

何から何まで不可思議な事だらけだぞ。

と言うか、仮に母親が本当に福岡出身だとしても、日本の戸籍に全く載っていなかった人物が1926年に支那人の夫と支那に渡って1997年まで70年以上支那で暮らし、結局一度たりとも日本国籍を取得しないまま1998年に死亡したのだから、この母親自体「日本人」とは言えないだろ。


>中国帰国者を支援してきた空野佳弘弁護士(大阪)が代理人となり、2008年11月、DNA鑑定で日本人との血縁関係がようやく証明され、姉妹は日本国籍を取得。


(・・。)ん?
「2008年11月、DNA鑑定で日本人との血縁関係がようやく証明され、」って意味不明。

日本人の親族が居て、その日本人親族とDNAの血縁関係が証明されたということか?

母親が来日して1年間も証明できなかった日本人との血縁関係が、どうして10年後に日本に初めて来た姉妹が日本人との血縁関係を証明できるんだ?

警察には、この辺のことも良く調べてほしい。

何から何まで考えられない事ばかりだ。


それと、代理人となった「空野佳弘弁護士(大阪)」という奴は、マジキチのようだ。

「日の丸・君が代による人権侵害」市民オンブズパーソン呼びかけ人
http://www003.upp.so-net.ne.jp/eduosk/zikosyoukai.htm
空野佳弘(弁護士)

強制連行は違法 日本に被害回復の義務
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2005/01/0501j1117-00001.htm
空野佳弘弁護士(調査団日本人側全国連絡協議会事務局長)

日本の過去清算求める平壌シンポ報告から
http://kamomiya.ddo.jp/%5CSouko%5CC01%5CIshige_E%5CSeisan.html
空野佳弘事務局長


>姉妹と兄、その子ども計10人の家族合計56人の入国も認められ、期限の6月までに次々と来日した。先に入国した家族が外国人登録した際、区役所の窓口で生活保護制度を知り、後に来た家族とともに申請手続きをしたという。


入国審査には、入国後の生活維持という項目があり、入国後に日本の公共の負担となる場合は、入国が許可されない。

入国後の仕事が決っていなくとも、誰かが経済的な面倒を見るとか、就職の見込みがある場合には、入国が許可される場合があるが、入国直後に生活保護の受給を申請する外国人に入国は許可されない。

やはり、この婆姉妹は嘘吐きだ。

もしも、この婆どもが嘘吐きでなければ、大阪入国管理局が不公正な入国を許可したことになり、それはそれで許されざる大問題となる。


>「息子たちの仕事が見つかれば、申請は取り下げるつもりだった」と姉妹。先月末に自転車組み立て工場などに息子ら3人の就職が決まったが、大阪市から入国目的を問題視された影響で、すべて断られたという。


だから、入国する前に生活維持を確保していなければ入国できないことになっているのに、この連中はまずは生活保護ありきで、それから就職探しをしたのだから駄目なんだよ。

先週私が大阪入国管理局(06-4703-2100)に電凸して確認したら、大阪入管は「40人以上の中国人全員の面倒を見るという身元引受人がちゃんと居たので入国を許可して定住資格を与えました。」と言っていた。

つまり、入国審査で身元引受人による扶養の申し出があったはずなのに、婆姉妹はその事に関する話をしていないようだな。

もう不正入国は間違いない。

警察には、大阪入国管理局のズサンな入国審査についても併せて徹底的に捜査してほしい。

大阪入国管理局(06-4703-2100)


>愛英さんは「日本はいい国だと聞かされ、ずっと移住したいと思っていた。やっと家族で平穏に暮らせると思ったのに」と涙ぐんだ。


いい国でないと判ったなら、さっさと支那に帰れ!
(・д・)カエレ!!


●年表
━━━━━━━━━━
・●●年、母親が出生。生年月日は不明。出生届けが提出されておらず日本に戸籍が残っていない。

・姉妹によると、母親は福岡出身の日本人で、支那人と結婚した。(母親は日本で結婚したのに、婚姻届も提出しなかったということか?)
・1926年、母親が支那人の夫と夫婦で支那・福建省に渡る。 (母親は日本を出国する際にも、役場で何の手続きもしなかったということか?)
・1930年以前、姉妹の兄が生まれる。
・1931年、愛英が生まれる。
・1932年、珠英が生まれる。
・※他7人、全部で子供10人生まれる。
・1945年、終戦

・1972年、日支国交正常化

・1997年、母親が日本へ帰国
・1998年、母親病死

・2008年、DNA鑑定により血縁証明??→姉妹が日本国籍取得。 姉妹と兄、その子ども計10人の家族合計56人の入国も認められる。
・2010年6月までに「家族合計56人」(のうち48人?)が次々と来日。48人が入国直後に大阪市役所に生活保護の受給を申請した。
━━━━━━━━━━

(参考)

http://sankei.jp.msn.com/life/trend/100702/trd1007020314001-n1.htm
【産経抄】7月2日

 気前よくもてなすことを、「椀飯(おうばん)振る舞い」という。江戸時代には、正月などに親類縁者を招いて開く宴(うたげ)を意味した。5月から6月にかけて来日したばかりの中国人32人に、大阪市が「生活保護」と呼ばれる「椀飯」を振る舞っていたことがわかった。

 ▼中国人らは、市内に住む中国残留孤児の姉妹の親族と称し、介護名目で来日した。姉妹は2年前に帰国して、日本国籍を取得している。入国後すぐに生活保護の受給を申請した48人のうち、市は26人について、6月分から受給を認め、さらに今月分から6人を追加した。

 ▼もともと生活保護受給世帯が全国でもっとも多い大阪市では、保険料を長年支払ってきた年金受給者より、生活保護受給者の方が受け取る額がはるかに多い矛盾が指摘されてきた。今年に入って、外国人の受給者が1万人を超えたこともわかった。

 ▼それにしても来日直後の大量申請は、あまりにも不自然だ。中国人らは、福建省出身だという。第二次世界大戦末期のソ連軍の侵攻によって、中国東北部に取り残された人たちの親族が、どうしてそんな南の地方に住んでいたのだろう。

 ▼元警視庁通訳捜査官の坂東忠信さんは、新著『日本が中国の「自治区」になる』(産経新聞出版)のなかで、「日本に滞在する残留孤児関係者のほぼ九割が偽物」という。坂東さんによると、他人の戸籍を買ったり、役場に根回しして虚偽の公正証書を発行させたり、正規の旅券を入手するさまざまな手口がある。

 ▼つまり、今回のケースは、氷山の一角かもしれない。折しもきのうから、中国人の個人観光ビザが大幅に緩和された。ショッピングや日本見物を楽しみにしている人たちには、「椀飯振る舞い」したい気持ちは十分あるのだが。
 ↑ここまで

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