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February 02, 2010

日中歴史共同研究についての各紙社説

 2月1日から2日の各紙朝刊に日中歴史共同研究についての社説が載った。見出しを列挙する。

 産経: 日中歴史共同研究 「南京虐殺」一致は問題だ(1日)
 読売: 日中共同研究 歴史認識の違い浮き彫りに(2日)
 朝日: 日中歴史研究―政治との距離感が大切だ(2日)

 うち、研究の成果を好評価しているのは、例によって朝日新聞だけだ。問題があるというのが産経新聞。日中間で歴史認識を共有するのは難しいというのが読売新聞だ。


 読売新聞の社説を引用する。

 ↓ここから
 民族や国家が異なれば歴史に対する考え方もおのずと異なる。

 まして共産党のイデオロギーの下で歴史解釈が行われ、学問の自由が制約されている中国との間で歴史認識を共有することは、きわめて困難なことであろう。

 日中両国の有識者による日中歴史共同研究委員会が発表した報告書は、そうした歴史認識の大きな差異を改めて浮き彫りにした

 報告書は、古代から近現代まで時代順に日中双方の学者の主張を両論併記の形でまとめた。

 例えば1937年の南京事件の犠牲者数について、日本側は「20万人を上限として4万人、2万人など様々な推計がなされている」と指摘した。

 しかし中国側は、中国共産党の公式見解である「30万人虐殺説」を譲らなかった。実証的な研究では無理のある数字である。

 日中戦争についても、日本側が計画的な侵略ではなかったと指摘したのに対し、中国側は全面的な侵略戦争と位置づけた。

 中国側の変化の兆しと言えば、日中戦争の発端となった盧溝橋事件が偶発的なものであった可能性に触れたことぐらいであろう。

 注目された戦後史の部分は、中国側の意向で公表が見送られた。89年の天安門事件などに対する日本側の評価は、中国現政権への批判に直結しかねないためだ

 今回の共同研究の結果を報じたNHKの海外テレビ放送も、中国国内では途中で一時中断された。天安門事件などの映像が放映されるのを中国当局が遮断しようとしたものと見られる。

 このような報道の自由すら制約されている状況に照らせば、柔軟な歴史の論議にはおのずと限界があったということだろう。

 日中歴史共同研究は2006年に安倍首相と胡錦濤国家主席の首脳会談で決まった。歴史問題を政治と切り離し、学術的な議論に委ねることが狙いだった。

 残念ながら中国側の政治的な制約によって、期待されたような実証的な議論は深まらなかった。

 しかし、両国を代表する学者が重要な問題について議論し、報告したこと自体に、一定の意義があったと言える。

 委員会は今後メンバーを改め、第2期の研究に継続的に取り組むことになっている。

 日中間で歴史認識を共有する難しさは理解できる。両国の戦略的互恵関係を深めていくためにも、冷静で実証的な議論を積み重ねていくことが必要だ。
 ↑ここまで
 
 歴史認識の違いが大きく両論併記ばかりで、現代史は「中国の政治的都合で」公表されなかった。読売の言うように、「期待されたような実証的な議論は深まらなかった」。当然だろう。独裁国家にとって都合の悪い歴史的事実は消されてしまうのだ。歴史とは中国にとっては中国共産党のプロパガンダ(宣伝)か政治の道具にすぎない。

 にもかかわらず、読売は「両国を代表する学者が重要な問題について議論し、報告したこと自体に、一定の意義があった」という。話がつながっていない。民主党政権に阿ったのか。それともナベツネの意向なのか。


 産経新聞の社説を引用する。

 ↓ここから
 日中の有識者による歴史共同研究の報告書が発表された。両国の歴史に対する考え方の違いが一段と明確になった。

 この共同研究は、平成18年10月の安倍晋三首相(当時)と胡錦濤国家主席の合意に基づき、3年がかりで行われた。両国の認識の隔たりが大きく、両論併記の形がとられたのは当然である。

 近現代史の部分を読むと、日本側の記述はおおむね客観的な資料に沿って書かれている。これに対し、中国側の記述は中国共産党史観の域をほとんど出ていない

 ただ、南京事件(昭和12~13年)のくだりで、中国側の主張に引きずられているのは問題だ。

 日本側の記述は「日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦(ごうかん)、略奪や放火も頻発した」と「虐殺」を認めている。その数は、東京裁判で認定された「20万人以上」、中国が主張する「30万人以上」などの数字を挙げ、「日本側の研究では20万人を上限として、4万人、2万人などさまざまな推計がなされている」としている。

 しかし、「南京虐殺」や「南京大虐殺」は当時の中国国民党が宣伝したものであることが最近の実証的な研究で分かってきた。日本軍による集団的な虐殺の有無も、はっきりしていない。こうした日本側の研究状況を過不足なく正確に記述すべきだった。

 「南京虐殺」で認識が一致したといっても、共同研究に参加した学者間でのことだ。それがあたかも歴史の真実であるかのように、日本の教科書などで独り歩きするようなことは避けたい。

 今回、中国側が戦後史の部分の発表を拒否し、それに日本側が同調したことも問題である。このため、日本側の研究論文まで非公開にされてしまった。中国当局は天安門事件(1989年)に関する厳しい言論統制を行っており、日本側の論文が公表されることで当局への批判が誘発されることを恐れたためとみられる。

 日中両国の共同研究の成果は、等しく両国民に公開されるのが筋だ。日本政府は改めて中国側に公表を求めるべきである。

 共同研究は今後も続けられる。そもそも、独裁国家の中国と学問の自由がある日本との間で、大きな成果は期待できない。日本側の学者はこのことをよくわきまえて共同研究に臨む必要がある。
 ↑ここまで

 産経新聞は、「近現代史の部分を読むと、日本側の記述はおおむね客観的な資料に沿って書かれている。これに対し、中国側の記述は中国共産党史観の域をほとんど出ていない」と書いている。わしの意見と同じだ。

 また、「南京大虐殺」で意見が一致したというのは大問題だ。わしは虐殺などなかったと考えている。虐殺の証拠とされる写真は全て捏造されたり根拠がないものであることは実証されている。それにもし「南京大虐殺」があればその時点で中華民国が国際連盟に訴えていたであろう。そうしていないのは、そんな虐殺などなかったからだ。

 産経が最後に、「そもそも、独裁国家の中国と学問の自由がある日本との間で、大きな成果は期待できない」と書いているがその通りだ。独裁国家には学問の自由が存在しない。そんな中で例えば天安門事件を事実に則って議論できる訳が無い。誰でもわかることだ。だが、それがわからない新聞がある。


 朝日新聞の社説を引用する。

 ↓ここから
 日中歴史共同研究の報告書が公表された。中国側の求めで戦後の部分が非公開となるなど、問題は多い。だが、いくつもの困難を乗り越え、ここまでこぎ着けたことを評価したい

 歴史認識にかかわる問題は争いが多く、トゲも含む。それは専門家の冷静な議論に委ね、政治は未来志向で戦略的な協力関係を目指そう――。

 小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝で冷え込んだ日中関係の打開のため、日本側が歴史の共同研究を提案。2006年10月の安倍晋三首相(当時)訪中で、中国側と合意した。

 発端が政治主導であるうえ、相手は学問や表現が自由ではない中国である。日本の専門家には、成果が得られるのかという疑問が当初からあった。中国側にも「侵略戦争の責任を日本側が否定するのではないか」との警戒感が強かった。

 しかし、歴史認識の違いが政治の世界だけでなく国民の感情にも大きな影を落とす日中関係で、日中の専門家が公に語りあい、成果を公表するという計画は画期的だった。

 「古代・中近世史」と日本の戦後の平和的な歩みも含めた「近現代史」について、双方が論文を書き、意見を出し合う。討議の要旨もつける。日中平和友好条約締結30周年の08年には報告書を出す。

 そんな当初の狙い通りに実現すれば、報告書は日中の歴史を考えたり、話したりするときにもっと役立つガイドブックになったことだろう。

 研究の継続を確認した08年5月の胡錦濤(フー・チンタオ)国家主席の訪日までは、議論は順調だった。だがその後、一般国民への影響などを理由に中国側が、討議要旨に続いて論文すべての非公表を求める事態に陥った。

 論文や討議要旨のなかに、中国の一般市民の知らないこと、知らされていないことがあり、表に出せば問題が起きかねない。中国政府がそう恐れて待ったをかけたのだろう。政治との距離を置くという当初の目標が軽視されたことは、極めて遺憾だ。

 とはいえ、曲折を経て1年以上遅れて公表された報告書に驚くような内容はない。南京大虐殺の犠牲者の数も中国側は最大で30万超と主張するなど、評価の違いも当然のことながら目立つが、一方で総じて抑制的な表現が多く、淡々と書かれている。双方の研究者とも、日の丸と五星紅旗から距離を置こうとした跡がうかがわれる

 共同研究はこれからも続くことが決まっているが、戦後部分の公開を急いでほしい。日中間で相互理解を深めるのは当然だが、研究は日中で独占されるべきものではない。諸外国の幅広い有識者の知恵や研究成果をとり入れてもらいたい。研究が静かに続けられるよう見守りたい。
 ↑ここまで

 社説の冒頭から「ここまでこぎ着けたことを評価したい」だ。評価できるものがどこにあるのか。

 また、南京大虐殺では「総じて抑制的な表現が多く、淡々と書かれている」などと書く。朝日新聞は南京大虐殺を事実として認めている、とんでもない反日新聞だ。当時の朝日新聞には平和な南京の様子が報道されていたというのに。これも本多勝一の悪影響か。

 そして「戦後部分の公開を急いでほしい」という。公開する訳がなかろう。毛沢東により数千万人もの死者を出したことや、天安門事件で自国民を殺害したことを、中国共産党が公開すると思うのか。本気で言っているのなら朝日新聞の論説委員は余程の世間知らずかお人よしか単なる馬鹿だ。

 朝日新聞は最後に「日中間で相互理解を深めるのは当然だ」とか「研究が静かに続けられるよう見守りたい」などと言っている。現実とかなり乖離しているではないか。読売が「柔軟な歴史の論議にはおのずと限界があった」と言い、産経が「大きな成果は期待できない」と言っているのとは大違いだ。

 朝日新聞がまた手放しでの中国大好き新聞になってしまったようだ。民主党に合わせたのか、元に戻っただけなのか。

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