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December 29, 2009

国家の正統性確立に苦しむ韓国

 29日の産経新聞の「正論」欄に、「筑波大学大学院教授・古田博司 国家の正統性確立に苦しむ韓国」という論文が載っている。南北朝鮮ともに自力で独立していないため、国家としての正統性が無い。だから腹いせに日本を悪者扱いするのだ。そして、日本の技術や文化をパクって、自国が正当と主張する。ある意味かわいそうな国である。が、少しでも気を許したらどこまでもつけあがるのが、南北朝鮮。

 この論文には説得力があるので、記録のため引用させていただく。

 ↓ここから
 ≪発展の遅れた半島の李朝≫
 来年は日韓併合100周年にあたり、韓国の反日運動の盛り上がりが予想され、また日本の一部学者が同調する動きもある。以下、事実を指摘しておきたい。

 歴史上の朝鮮は、満州から半島へと廻る回廊の上に立つ、いわば回廊国家であった。

 大陸に清国を建てた、第1代ヌルハチと次代ホンタイジの年代記、『満文老档(まんぶんろうとう)』が当時の満州語で残されている。満州軍は清国建国前に朝鮮侵攻を行うが、奉天に集結した軍が朝鮮に南下し、京城を抜くまでにたった2週間しかかからない。半島の東側は険しい山岳だが、西側は何の要害もない野原だからである。もとより守り防ぐことのできない国であった。ゆえに侵略の報が入るや、王は海浜の江華島へと逃げ去った。

 満州やモンゴル諸国から見ても、大陸の明朝と半島の李朝は兄弟国であった。明は白蓮(びゃくれん)教徒の明主が建てた国だったので明という。元朝に宗教反乱で立ち向かい、モンゴル人の放漫な紙幣濫発(らんぱつ)政策に対する反省から、当初は反商業的な国家として誕生した。同時期成立の李朝はこれを真似(まね)し、明がそれを捨てて発展していたころ、なおも反商業的であった。

 商店も筆屋と鍮器(ちゅうき)屋くらいしかなく、人々は市場と行商人に頼っていた。曲げ物の技術がなく、車輪も樽(たる)もない。物は背負子(しょいこ)に担いで人が運んだ。染料も顔料もないので、民間人は白衣、陶磁器は白磁だった。李朝は、いわば世界が中世期の頃に、古代国家として発生したインカ帝国に近い存在として特筆される

 ≪日本の思い出にさいなまれ≫

 このような国を植民地とした近代日本から染料が入ると、白衣は柄入りで染められて「倭風」と称され、リヤカーが来ると車がなかったため、ハングルで「クルマ」と呼ばれて今日に至っている。日本植民地時代に朝鮮が年平均で3・7%の経済成長を遂げたことが韓国人研究者の実証研究でわかっており、もはや隠すべくもない

 戦後、朝鮮は南北に分断されたが、韓国は38度線のおかげで史上初めて中国の勢力圏を逃れることができた。三方を海に囲まれ、北方には行けず、いわばこの国は島化したのである。他方、北朝鮮は中国の勢力圏に残りつづけた。

 韓国はアメリカによって解放され、北朝鮮は極東ソ連軍の連れてきた傀儡(かいらい)から国が始まる。独力で得た独立ではないため、国家の正統性がない。北朝鮮は金日成が満州で抗日していたので少しはあるが、日本軍が強すぎて朝鮮領内に入ることすらできなかった。北朝鮮は金日成の抗日を誇張し、中国の勢力圏にある現況を表向き否定しなければならなかった。こうして主体思想が生まれる。一方、韓国は日本の思い出にさいなまれ続けることになった。韓国が国の正統性を確立するには、日韓併合条約を無効とし植民地時代を抹殺するか、民主制の成熟しかなかったのだが、後者は流産してしまう。

 2009年5月23日、前大統領の盧武鉉氏が自宅の裏山から飛び降り自殺をした。親族の収賄関与容疑で最高検察庁の事情聴取の最中だった。自殺の時点で盧氏は関与を認めたことになり、遺体は司法解剖に付され、親族の収賄の捜査が本格化するはずである。

 ≪負うべきものを放り出す≫

 ところが野党民主党は最高検察庁による不正資金疑惑捜査が盧氏を死に追いやったとして李明博政権を批判し、政府は盧氏を国民葬とすることで盧氏支持者たちの反発をかわした。さらに検事総長を辞任させ、盧氏親族の捜査を打ち切った。遺体の司法解剖もついに行われなかった。これで李明博政権が国策捜査を認めたことになるから、今度は政府批判が始まり、政権は倒れるはずである。ところがこれもそうはならなかった。

 このように朝鮮の為政者は、いつも負うべきものを放(ほう)り出すのである。李朝の仁祖は満州軍に民衆を放り出した。1905年、第2次日韓協約の時、高宗は朝鮮の命運を5人の大臣たちに丸投げした。韓国初代大統領の李承晩氏は国民を棄てて亡命し、1997年の金融危機の際、金泳三氏はIMF(国際通貨基金)に国を投げ出した。最後に盧武鉉、李明博両氏が民主主義自体を放り出した。韓国人の意識構造の「恨(ハン)」とは、為政者に放り出された民衆の嘆きから始まるのである。

 さて、日韓両政府の支援により2007(平成19)年に始まった「第2期日韓歴史共同研究委員会」がこのほど終了した。筆者は今期から設けられた教科書小グループのチーフだったが、実に虚(むな)しい2年間を過ごした。論争好きな彼らに引きずられテーマ設定に1年間を要し、いざ共同研究が始まると、韓国の委員は4、5冊、多くて10冊の教科書資料しか読んでこなかった。「日本帝国主義」「右翼教科書」などという用語を使い、政争の観点しか持たない彼らを諄々(じゅんじゅん)と諭す以外にはなかったのである。さらに韓国側が名指しで人身攻撃を行っても、日本側委員長はわれわれ委員を守ることがなかった。私は「恨」を感じた。
 ↑ここまで

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