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January 06, 2009

元旦の各紙年頭社説

 産経新聞、読売新聞、朝日新聞の平成21年年頭社説を読んだ。

 産経新聞は「日本人の『流儀』にこそ活路」という題で、モノづくりを大切にする日本の精神に、世界不況を克服する活路があるという。そして、「米国の金融危機の背景には、企業がモノづくりを忘れて金融、つまり金もうけに走ったことがあるとされる。国民も借金してはモノを買うという、『虚構』の舞台で踊ってきたように思えてならない」と、世界不況の本質を突いた記述がみられる。産経新聞のいう通りで、この世界不況は資本主義や市場経済そのものに起因した問題ではないのだ。

 読売新聞の社説は「危機に欠かせぬ機動的対応-政治の態勢立て直しを」だ。読売は社説で、「日米同盟維持が重要」、「日本が信頼できる同盟国だと思わせるだけの能動的な外交、安全保障戦略で応えていかなくてはならない」という。他紙にはない記述であり評価できる。また、「党益よりも国益を」と主張する。「与野党が国内政局の争いに明け暮れていては、日本は国際競争から落伍しかねない」というが、もう手遅れかもしれない。国難に際して政権交替などという国内事情に拘っている場合ではない。にもかかわらず自民党と全く協力しようとしない民主党の存在は日本を凋落させようとしているとしか思えない。李氏朝鮮の末期と重なって見えてくる。

 読売新聞の社説で気に入らない点が2箇所ある。

 1つは、金融危機を「新自由主義の崩落」と捉えているところだ。「新自由主義、市場原理主義の象徴だった米国型金融ビジネスモデルの崩落が、世界を揺るがせている」というが、新自由主義の問題ではない。問題はむしろ正反対にある。ドル紙幣を無制限に発行し、世界経済を牛耳ってきたアメリカ政府と、政府と癒着した金融企業に問題があったのだ。

 もう1つは、「内需拡大に知恵を絞れ」と、タンス預金を使えという点だ。超低金利で貯金しても意味が無い。それから、将来の不安が大きいというのに、誰が無駄遣いを率先してするというのか。それに節約は日本人の美徳である(あった)はずだ。

 朝日新聞の社説は、「混迷の中で考える-人間主役に大きな絵を」というよくわからない題だ。「何という年明けだろう」という書き出しだが、読み進めれば「何という社説だろう」と思う。いつも通りだが、3紙の中で最も低劣な内容だ。

 朝日新聞は、「人々を豊にするはずの自由な市場が、ときにひどい災禍をもたらす。資本主義が本来もっているそうした不安定性が、(略)この危機だ。人間や社会の調和よりも、利益をかせぎ出す市場そのものを大事にするシステムの一つの帰結である」と、資本主義や市場経済そのものに原因があるかのように書く。さすが共産党支持者が多いと言われる新聞社だけのことはある。朝日新聞は、社会主義や共産主義の方が良いといいたいのだろう。現経済体制を否定するのだから、明らかに偏向している。

 この経済危機は朝日新聞のいうところの「市場の失敗」によるものではない。産経新聞のいうように、「虚構の舞台で踊ってきた」からである。それを資本主義や市場経済のせいにするとは、共産党と同レベルだ。

 そして朝日新聞は、「たくましい政治が要る」という。朝日新聞は常日頃から国家や政府を目の仇にしていたのではなかったか。自己矛盾である。それはともかく、朝日のいうように政府が経済に介入したとしても、それがうまく機能する保障など無い。いやむしろ非効率性や恣意性が大きく、無駄遣いになるのはほぼ確実だ。仮に市場が失敗するとしても、政府もまた失敗するのである。現に、数多くの第三セクタが破綻したし、ハコものが赤字を垂れ流しているではないか。これ以上「大きな政府」にしてどうするのか。

 朝日新聞の言う通りにしていたら、日本の没落が迫ってくるであろう。

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