歴史的仮名遣い
歴史的仮名遣いについて書く。戦前に使われていたので旧仮名遣いという人もいるが間違い。今の国語教育を歴史的仮名遣いに戻すべきではないかと考えている。
その理由は、まず戦前の歴史的仮名遣いで書かれた書物や記録が読めないことだ。実際には意外と読めてしまうのだが、やはり読み辛い。
次に、話す言葉と書く文章の違いが判らなくなってしまう事だ。文語と口語を同じにしようとしているようだ。私の子供が小学一年生だったとき、週に一回!日記を書く宿題が出た。学校では日記を書くノートを「日記帳」と呼ばず「あのねノート」と言う。そして日記の書き出しが何と「先生あのね」そして日記の書き出しを何と「先生あのね」にするよう教わるのだ。ひどい。
それから、今の「現代的仮名遣い」は、文法的におかしい点が多々あるからだ。例えば、土地は「とち」と書くのに地面はなぜ「じめん」と書くのか。歴史的仮名遣いなら同じだ。「言う」を活用させたら、言わない、言います、言う、言うとき、言えば、言おう、とワ行とア行にまたがってしまう。歴史的仮名遣いなら、ハ行活用だ。
歴史的仮名遣いで綺麗な文章を書けるようになりたいものだ。
福田恒存「私の国語教室」(文春文庫)や、丸谷才一「文章読本」(中公文庫)を読んで勉強しよう。
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